アリス、アリスに会う  281−290

281 アリス : 双子が2人でなくなったのは大変残念ですが、猫さんのお話を腰を折らないように、待っている間に、私は、猫さんのご覧になった20年以上も前の夢について夢解きをしていました。それをまず載せておきます。

ーーーアリスの夢解きーーー
あなたは、女性を何か特別なもの、どこか見上げるような、崇高なものと考えておられます。
美術館の、しかも上の方に見えるのはその所為です。
女性は双子に見えますが、実は一方は、聖母マリアのように清らかで、慈愛に満ちていますがもう一方は、貪欲で好色でけちで抜け目のない女なのです。
実は同一人物なのですが、あなたの中では統合できないので2人に見えます。
あなたが、これらに無関心か、他人のように見ているので、彼女たちは泣いています。
祈って欲しいといっているのは、あなたに、受け入れてもらいたいのです。実は、あなたの一部だからです。
それが分かれば、いいのです。
そうすれば、ある真理が見えます。

以上は通り一遍の解釈です。もう少し詳しく申し上げましょう。

あなたは、科学者だと思っておられます。でも、別の領域へ入ろうとしておられます。
あなたには別の領域に入るにも理由が必要ですが、美術館なら誰でも入れるので安心だと理由をつけて入っています。
2人の女性はあなたの中の芸術家を表しています。あなたの潜在意識にある女性性(アニマ)なのです。それを無視して、科学者の仕事だけをしているので、彼女達は泣いているのです。

これは丁度、ユングが「アニマ」を発見したのと同じ状態です。
ユングは、私から見れば生涯、科学者であろうとした人だと思うのですが、彼がフロイドと決別し、精神的危機に陥りますが、暗中模索の中、自分のやっていることは果たして「科学か」と自問します。そのとき、何処からか女の人の声で「それはアートです」という声が聞こえます。ユングはこの声の主を追求し、これが「アニマ」の発見へとつながっていったようです。自叙伝にそう書いてあります。
あなたは名前を聞いています。名前=言葉=ロゴス、これは科学者の立場なのです。
理屈でない祈りがなければ、それに近づけません。だから名前を答えないのです。

オリオン座が見えたのは、あなたと2人の女性の究極の姿です。
星座=コンステレーション。これはあなたが生まれる前から存在します。あなたは先験的(ア・プリオリ)に布置されたものに支配しているのです。それが分かればすべて分かります。ユングは「アニマ」はア・プリオリなものだと言っています。三つの星はひょっとして、あなた、魂、神 なのかもしれません。
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私の出来る夢解きはこんな程度ですが、何かコメントがありますか?
私が最も興味を持ったのは、実は2人の女性です。このことは後に述べます。

手元にあるマレイ・シュタインという人の『ユングの心の地図』という本にある、「アニマ」の定義が大変面白いので訳出しておきます。

アニマ:男性の無意識の中にある永遠の女性の元型的イメージで、エゴ意識と集合的無意識とを結合し、自己(the Self)への道を開く可能性を秘めている。

282  : アリスさんの解釈についてコメントする前に、マーレー・シュタインという人の本にあるアニムスの定義も教えていただけませんか。

283 アリス:わたしの持っているのは原書の方で、(翻訳もあるようですが)したがって、私流の訳なのです。

アニムス:女性の無意識の中にある永遠の男性の元型的イメージで、エゴ意識と集合的無意識とを結合し、自己(the Self)への道を開く可能性を秘めている。

全く、アニマとアニムスは対照的に表現されています。この定義にはこの人なりのユング心理学の理解の裏打ちがあります。

284  : ありがとうございました。対照的に定義されていて当然なのですが、それを確認したかっただけです。

では、なぜアニマとアニムスはこのように対照的で、互いに相手を永遠の理想とみなすのでしょうか。それは、男性性と女性性が元々は一体だったからです。本来一つであったものが二つに分かれたので、元に戻ろうとする力が。働いているのです。そのために、互いに相手をアニマ、アニムスという形に理想化し、憧れの的にするようになっているのです。

したがって、アリスさんの最初の解釈で、冒頭に<あなたは、女性を何か特別なもの、どこか見上げるような、崇高なものと考えておられます>と述べられていますが、これは私だけの問題ではなく、すべての「男性性」に適用される言葉だと思います。

ここで、私は「男性性」と言い、「男性」と言いませんでした。今後の話を明確にするために、言葉の使い方を慎重にしたいと思っています。人間は誰でも、男性性と女性性を両方持っていて、そのバランスは人によって違います。通常は男性は男性性が優越し、女性は女性性が優越しているのですが、中には、「肉体の性」と「心の性」が逆転していて、自分の肉体に違和感を持っている人さえいます。

ですから、アニマへの憧れを持っているのは「男性」ではなく「男性性」だと言うべきだと思います。「男性」は、自分の中の男性性のバランスに応じて、その憧れに支配されているわけです。

そこで、先ほどの冒頭の言葉に戻りますが、アニマに憧れを持っているのは、すべての男性性に共通するわけですから、これを「あなたは〜」と解釈するのは、あまり意味がないのではないでしょうか。むしろ「美術館」「上の方」という言葉が憧れを意味するならば、それは、この「双子の女性」がアニマであることのしるしである、と解釈するべきではないかと思います。

次に「双子」の問題ですが、私は女性性に二面性があることは否定しません。したがって、女性性のシンボルが双子であっても不思議ではないと思いますが、この夢の場合には、そのような二面性の印象はまったくありませんでした。第一、それがわかるほど、私はその女性たちと接触していません。この場合には、女性性に正負両面があることは、必要な情報ではなかったと思います。なぜなら、私の中で統合できていなかったのは、女性性の両面ではなく、私(男性性)と女性性の間だからです。当時、私の中では男性性と女性性が天敵のような関係にありました。まるで、帝釈天と阿修羅の戦いのように、何十年も私の心の中で戦いが続いていたのです。(私が興福寺の阿修羅像に惹かれるのはそのせいかもしれません。)

したがって、この時期に私にとって最も必要だったのは、男性性と女性性の統合を図りなさい、というメッセージだったと思います。

もう一つの解釈については、次回にします。

285 アリス:私がつまらない夢解きをしたために返って横道にそれたように思います。
猫さんの、ご自分の夢について、仰りたいことをまずお聞きしましょう。

286  : これは旅が好きなアリスさんらしくない反応ですね。ビジネス旅行でない本当の旅の醍醐味は、予期しない横道に入ってゆくところにあるのではなかったでしょうか。

それに、アリスさんの夢解きは、横道以上のものです。科学者と芸術家という言葉が出てきたのに、とても興味を覚えました。これはまさに男性性と女性性に対応しています。

男性性の働きは理性にあり、観察、分析的認識、直線的推論、言語表現などに現れます。、また能動的、計画的、結果重視というところも男性性の特徴です。

これに対し、女性性の働きは感性にあり、直接体験、総括的パターン認識、直感的把握、感覚的表現などに現れます。そして、受容的、衝動的、プロセス重視といった特徴があります。

霊性を知ることは、観察と分析に基づく直線的な推論だけでは、決して出来ません。そこには、必ず、何らかの直接体験と直感的な把握が必要です。つまり、女性性の働きがなかったら、私たちは永遠に霊性に触れることは出来ないのです。けれども、直感的に把握しただけでは、それを認識し、理解し、言語化することは出来ません。それは男性性の働きです。ここに、男性性と女性性の融合が求められるのです。

これが私に対して、男性性と女性性を統合しなさいというメッセージが与えられた理由であり、また、マーレー・シュタインのアニマ、アニムスの定義の中に<エゴ意識と集合的無意識とを結合し、自己(the Self)への道を開く可能性を秘めている>という言葉が現れる理由だと思います。

287 アリス:この定義はおそらく猫さんが注目されるだろうと思っていました。the Selfはニューエージの方にはハイヤーセルフといったほうがいいかもしれませんね。霊性と置き換えてもいいと思っていますが、ユングはそこまでは言っていないのではと思います。

ついでに、この本の定義を書いておきます。

セルフ : あらゆる原型的イメージと構造、秩序、統合へと向かおうとする内的心的傾向の、中心、源泉

ユングはこのセルフという言葉をウパニシャットの中でのアートマンatmanにもとずいて考えたようです。
これまで何度もふれた、アートマン=私=霊=神の図式はまると思うわけです。

ところで、アニマ・アニムスについてシュタインの本で定義を書きましたが、図書館へ行って翻訳を見ましたら驚くべきことに出会いました。少し横道にそれますが、書いておきます。

私の手元にあるのは
Jung's Map of the Soul: An Introduction  Murray Stein 1998 Open Court

で、その終わりに、2ページ+4行の語彙集(Glossary)が付いていて、ユングの基本的な言葉が2,3行で説明されいています。私はそこから訳したのですが、翻訳書は

『ユング 心の地図 』 マレイ・シュタイン 入江良平  青土社  1999

で、この翻訳書ではなんとこの語彙集は省略されているのです。表紙のタイトルを見ますとAn Introduction (「手引き」または「入門」と訳すのでしょうか)も訳されていません。著者は30年のユング研究の成果を「蒸留して」、これからの人にユングの真髄を提示している著者の心意気は無視されています。日本の翻訳書では、参考文献、索引がカットされるなど、かなり多く、このような改竄がなされるのですが、本当にさびしい気がします。ユングの入門書は漫画風のものから色々ありますが、意外と良いものはありません。このシュタインの本はまだ全部読んだわけではありませんが、おそらく一級のものでしょう。しかし、日本に導入されるのに、こんな形になるのは大変残念です。

さて、猫さんの体得された男性性と女性性との統合は霊性への路なのですが、ユングも同じようにアニマとの統合によって、セルフの発見へと繋がって行ったようです。私はもう一度アニマの問題に戻りたいのですが、その前に、この夢の体験で猫さんのお話がまだあればお聞かせください。

288  : 私の話はこれだけです。霊性への道は統合への道です。男性性と女性性を統合しなさいということは、理性と感情、論理と直感、左脳と右脳、マインドとハート、能動と受容、顕在意識と潜在意識・・・その他、現代人が分裂させてしまったあらゆる側面をすべて一つに統合しなさいということを意味していると思っています。

289 アリス : ありがとうございました。猫さんのこの時の体験は言葉に尽くせない深いものがあったことでしょう。
猫さんのこの2,30年前の夢で、私が強く心を引かれたのは、前にも触れましたが、双子の女性(ペア、複数)だということでした。しかも<女の顔は二人ともひどく悲しそうに見えた。>というところです。猫さんはこれを「私」と「私と双子関係にある女性」とされて、女性は一人になり、また、また、私の捉えた双子に対して、女性の<二面性><正負両面>にしておられますので、話しがかみ合わないのですが、何故、興味を持ったか、体験を少し書いてみます。

@40才前後だと思いますが、鉄鋼メーカー(新日鉄?)の広報誌の表紙に、野間仁根という画家の油絵が使われており、強く惹きつけられてことがあります。それは、山奥の滝のある渓流で、明るい日差しの中、魚が飛び跳ねていて、傍らに2人の若い裸女がいます。(メスの蛙だったかも知れません)私はそれを見たとたん、私の欲しいものがすべてそこにあると思いました。せせらぎ、陽だまり、魚(食べ物)2人の女性、静寂といったものです。浄福の境地と思い、切り抜いて長く持っていたのですが、どこかにまぎれてしまいました。

Aこれも大体同じ頃の話。「一遍上人絵伝」という国宝にもなっている素晴らしい絵巻物がありますが、この中の、一遍上人の道行きの場面で、上人が超一、超二という2人を後ろに従えて歩いているシーンがあります。私はこの場面に強く惹かれたのです。上人に従う超一、超二は姉妹かと思っていたら、母娘のようです。一遍上人の出家の理由の一つは、妻と妾の争いを見てというのがあり、超一はその妾の方とか言われているのを何かで読んだ記憶があります。

Bこれは高校の頃で、平家物語の中、平清盛にまつわる女性の話、白拍子仏御前の出現で、祇王21歳で妹妓女、母と共に尼となり、その後仏御前も出家するという、あの物語に強く惹かれました。

C私は晩生で、女性の美しさに目覚めるのが遅かったように思います。40過ぎた頃です。ある秋、どういうわけか、紅葉、真っ赤な紅葉が見たくてたまらなくなりました。強烈な憧れ、渇望といった感じ襲ってきました。と同時に、女性の美しさがわかるようになったという意識が生まれました。それからまた、60才を越したあたりから、街で、沢山、美しい女性に会うようになり、今も続いています。これらは私のアニマに違いありません。真っ赤な紅葉と同様、女性を素晴らしいと思うと同時に、心の奥で何やら憂いに似た感情が走ります。「タイスの瞑想曲」のあの憂いに近いかもしれません。(曲はタイスの瞑想曲に限りません。名曲の持つ悲しさです。)
女の顔は二人ともひどく悲しそうに見えた。>にも通じるのではないかという気がします。

猫さんの夢の双子の女性に私が反応した理由が少しお分かりいただけたでしょうか?
猫さんの夢を考えているうちに、私はこんな夢を見ました。京劇のような村芝居を見た後、家で寝ていると、そこに出ていた女優4人が窓から私の乱れた寝室に入ろうとします。それを必死で入れさせまいとしていました。私のアニマは4人?と思いました。
夢と相前後して、ユングは人生の段階に応じて、アニマをアダム、ヘレン、マリア、ソフィアで表していると言うことを読みました。

アニマが同時に2つ以上あるという説があるかどうか知りませんが、アニマは結構多面性を持っているのだと思います。このようなことを思いながら、前にも触れた「この世」とは何かという問題を反芻しています。

290  : アリスさんの注目する女性が、つねにペアで現れるというのは、意味深長ですね。おとぎ話や神話にも、ペアで現れる女性はたくさんいます。日本では木花咲耶姫(このはなさくやひめ)と石長姫(いわながひめ)。これは美と生命の象徴のようですね。

ユングは、アニマのシンボルが、母親、娼婦、聖女、賢女と進化していくといっているようですね。アリスさんの寝室に4人の女優が押し寄せたというのは、この4種類のアニマを全部統合しなさいというメッセージかも知れませんよ。

それにしても、一遍上人に従った女性の名前は異様ですね。どうしてこんな名前がついているのでしょうか。 一にあらず、二(複数)にあらず・・・。一をも二をも超越した上人の悟りを意味しているのでしょうか。

もしよかったら、「この世」とは何か、という問題について、お考えを聞かせていただけませんか。


2008・・4・2
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