遊山28から

  能と言えば「幽玄」が謳い文句のようになっているが、現行曲の二百十番(完全な形をなしているもののみを対象)のすべてが幽玄を表すものではない。
大雑把に言って、優雅な舞を主体とする所謂「三番目物(髷物)」の全てを幽玄ものと見做しても、手もとの百番集によれば、三十一番、およそ十五パーセントしかない。
能は、立働きや、ドラマ性を主題にしているものが結構多いのである。

能「野宮」は世阿弥の作と伝えられ、その典拠は源氏物語の「賢木の巻」、主人公(シテ)は光源氏の正妻で、三番目ものの中でも最も本格的なもの、即ち幽玄を主題とする代表曲であると言える。従って、舞いも、謡も極めて格調が高く、且つ優美である。 先ずストーリーを追ってみる。

上洛中の廻国行脚の僧が秋の嵯峨野のあたりをさまよっているうちに、野の宮の旧跡にたどり着く。(能では、野の宮の象徴として、後掲の挿絵のような黒木の鳥居の作り物を舞台の上に置く)すると、森の木陰から美しい女が現れ、九月七日の今日は、私がここで密かに神事を行う日に当たっています。それと言うのも、ここは昔、源氏が六条御息所をお訪ねになったところだからですと打ち明け、御息所が源氏の愛を葵上に奪われた悲しい恋の思い出を語る。そして、「秋の花みな衰え、虫の声も枯れ枯れに、松吹く風の響きまでも寂しき道すがら、秋の悲しみも果てしない」夕暮れの森の木立の中に消えていってしまう。(中入)
 その夜、僧が御息所の霊を弔っていると、物見車に乗った御息所の霊が現れ、賀茂の祭の日に、恋敵の葵の上と車争いをして辱められたことを語り、その口惜しさが死後も心をさいなんでいるので、「この世にこうして立ち返ってきてしまいます。どうぞこの妄執を晴らしてください」と涙ながらに頼む。そして、昔の華やかであった様を思いおこして、「この月夜に舞いを舞ってみましょう」と、あたりの風物を懐かしみつつ、舞を舞い、やがて車に乗って立ち去る。

 時を九月七日(旧暦であるので、新暦では晩秋)にしたのは人物が失恋の上臈であり、場所が物静かな旧跡であることで季節の情感が相応しいからであるとされている。
能の中で引用されている賀茂の祭は、「葵祭」のことで、平安の時代には娯楽が少なかったこともあって、その優雅、美麗な行列は貴賎男女を問わず待ち望んでいた大イベントであったであろう。

文献によると、この行列を見物しようと、沿道のいたるところに桟敷を構え、物見車や見物人で雑踏を極めているところへ、良い場所を先取りしようとした御息所が人々の見ている前で葵上の下人から侮辱を受け、著しく自尊心を傷つけられたということらしい。
 能では、野宮の他にも、六条御息所をシテとして登場させている「葵上」があるが、葵上では、シテの御息所は生きており、生霊(生きながら霊魂が肉体から遊離し、女の姿を借りて出現する)となって葵上に執りつき、病に至らしめると共に、その枕許に近付いて、源氏の愛を失った恨みつらみの言葉を投げかけるなど、嫉妬に狂った生臭い姿を見せるのが眼目になっている。

能のジャンルから言えば、葵上は、所謂「妄執物」であり、能の番組構成の、「神、男、女、狂、鬼」の序列で言うと「狂」即ち四番目物となる。
 これに対して野宮のシテは、死霊でありながら、うって変って心静かな、別人のような淑女である。
 能楽評論家の、香西 精氏は、そのキャラクターを次のように表現している。
「若く美しく才たけた皇太子未亡人にとって、好色な貴族社会は、彼女の健康な女体の欲求不満の試練をより大きくするばかりであった。源氏との仲も、所詮は望みがない。失意の果てに過去の一切を清算しようと、姫宮に同行して伊勢の斎宮に住み込む決心をする。

これを聞いた源氏は野の宮に御息所を訪ねて翻意を促すが、彼女は動かなかった。動かなかったが、さすがに感動は極めて大きく、この曲の契機になったのももっともである。晩秋の七日月のように澄み切った三十歳の高貴な未亡人、これが後シテのイメージである。月の光のように静かに清らかであるが、不幸な人間としての苦悩を舐め尽くした過去が微妙な影をひいている。」
 野宮の所在地は、嵯峨野である。
 嵐山公園の大堰川にかかる渡月橋を渡らずに北へ、清涼寺に向かって行くと、天竜寺を過ぎて間もなく左側に小道がある。そこを曲がって竹やぶの間を右折し、尽きたところに野宮神社がある。祭神は天照皇大神宮だという。宮は小さく、黒木の鳥居、小柴垣が昔のままにあって、これらがこのつつましい社の特徴となっている。小柴垣は萩の枯れ枝、鳥居の黒木は皮付きのクヌギだと言うことで、それを聞いただけでも、なんとなく野趣が伝わってくる。
 筆者がこの地を訪れたのは、およそ四十年前と十五年前の二回であるが、最初のときの昼なお暗い孟宗竹の中の小径が、次に行ったときには宅地開発の波にさらされて、趣がすっかり変わっていたのに驚いた。今は、更に変わっているのかも知れない。
 今年の例会では、「野宮」の舞囃子を「合掌留」(がっしょうどめ)と言う小書付(変えの演出)で舞った。

以下は能としてのシナリオと、舞の要所である。

(後場も佳境に入り、シテとワキの掛け合いより)

シテ「如何なる車と問はせ給えば。思い出でたり、その昔。賀茂の祭の車争い、主は誰とも白露の」、ワキ「ところ狭きまで立て並ぶる」、シテ「物見車の様々に、殊に時めく葵上の」、ワキ「(おん)車とて人を払い。@立ち騒ぎたるそのなかに」、シテ「身は小車の遣る方も、Aなしと答えて立て置きたる」、ワキ「B車の前後に」、シテ「Cぱっと寄りて」

[形の要諦]

@立ちあがり、シテが謡を謡いながら、しずしずと常座へ進む。

A右足をかけて、ワキの方へを向きを変える。

B九十度右、即ちワキ正面に向きを変える。

C右、左と二足見回しながら前へつめる。この所作は能に多く見られるが、葵上と異なり、

シテは気持ちは昂ぶってはいるが、狂乱の状況ではないので、詰め寄るときの感情移入は程ほどにする必要がある。

(以降、地謡が主体となる)
地「@人々轅にとりつきつつ、人だまいの奥に、押しやられて、物見車の力もなき、身の

程ぞ思い知られたる。Aよしや思へば何事も、報いの罪によも洩れじ。身はなほ牛の小車のめぐり、

Cめぐり来て何時までぞ、妄執を晴らし給えや、妄執を晴らし給えや。」

シテ「D昔を思ふ。花の袖」、地「E月にと返す。気色かな」(序の舞)

[形の要諦]

@   正面へ真っ直ぐ、扇を振り下ろしながら進み(ノリ込み)、右にて止める。次いで「人だまい」で右にねじて、右、左と二足出ながら扇に左手を被せるように掛け、「押しやられて」で、九十度左にねじて左に向きを変え、左足引きつけ、再び右に九十度ねじて右足引きつけ、「物見車」でさらに正面にねじて、左手を扇より離しながら、左足より常座にたらたら下がり右足にてとめる。

A   二度シオル(涙を流す形)。即ち、左手を一旦鳩尾丈夫の辺に持っていき、これを額の辺りまで持ち上げる仕草を二度繰り返す。この際、指は伸ばし、掌の内側に親指を隠す。左手を額にまで持っていく際の軌跡(曲線)が問題で、自分の場合、かなりダイレクトにもっていく傾向があり、師匠に二度ほど直された。演者により、指の伸ばし加減、面(顔)の曇らせ加減に差がみられるところで、ここのところで舞の品位が問われる。但し、指の綺麗な人は得である。

B   左より出て、三足目掛けて角に行き、左にて止め、「報い・・」を聞きながら左にねじて、左足より正面中程よりも少し低い位置まで回りこみ、右足掛けて正面を向く。

C   再び左にねじて、左足より五足ほど左に小回りし、右足掛けてワキ座に向い左、右と二足下がりながら合掌。この合掌の形も簡単なようで難しい。掌を四十五度程上に向けることと、中指と薬指の先端が軽く触れるようにすることがコツ。

D   手を離して正面に向いた後、謡い出す

E   左足を掛け、右に九十度向きを変え、扇を広げながら、常座に向い、右足掛け、左、右と二足詰めながら扇を眼前に掲げる。(上扇)

  以降「序の舞」に入る。(形付省略)

(シテが歌を詠み、しばし地謡との掛け合いとなる)

シテ「@野のの宮の、月も昔や、思ふらん」、地「22影さみしくも森の下露、森の下露」、シテ「B身の置き所も、あわれ昔の」、地「C庭のたたずまい」、シテ「Dよそにぞ変わる」、地「(E)色も仮なる」、シテ「F小()柴垣」、地「G露、()ち払い。訪はれし我も、Hそ()の人も。Iた()だ夢の世と経りゆく跡なるに、誰松虫の音は Jりん、りんとして、K風()茫々たる、野の宮の夜すがらL。懐かしや」

[形の要諦]

@   扇面を顔前に、歌でも詠むようにして謡い出し、「思ふらん」より扇を上に抜くようにして外しながら、左より三足下がる。(開キ)

A   所謂、中左右プラス二重開の形、即ちジグザグに前に出た後、三足、三足と下がる

B   そのままの位置で動かぬまま謡う。

C   左、右と二足下がりながら扇を顔前に掲げ(サシ)、次いで右より五足前へ進む。

D   右にねじて、右、左とつめる。前掲の「ばっと寄りて・・」と異なり、庭の趣を愛でているので、目線はやや下になる。

E   左、右と二足下がりながら正面前方に向きを変え、扇を前に指し出す。(胸ザシ)

F   謡いながら正面前方に進む。(仕舞のときはここが開キとなる)

G   手首のスナップを利かして、上下に二度あおぎ、次いで右の肩の上から左腰のあたりまで扇を流すようにし、「訪はれし」で舞台中ほどまで面を曇らせたまま下がる。

H   面を上げて遠くを見やる。なお、遠くを見るときは、焦点を合わしてはならない。舞台で舞ている人の目線は意外に見所から目立つもので、うっかり見所奥の人の知った顔に気がついてそこに目線が張り付いてしまうことがままあるが、それは禁物。

I   扇を前にサシかざしながら、角に行き、更にワキ座近くまで廻りこむ。

J   左足で止まり、面を伏せ加減にしながら、その左足を最初の「りん」で静かに一足進め、次の「りん」で右足を運ぶ。見せ場のひとつ。このあとの「・・として」で、足運びのテンポを速めて、大小前に行き右足をかけ正面を向く

K   両手で一旦下から上に煽ぎ上げ、それを目に押し出すようにして煽ぎ下げる(招キ扇)形を二回しながら正面先へ詰め寄り右足にてとめる。

L   左足より、たらたらと大小前に下がり、本曲の二回目のシオリに入る。シオリは二度行 うが、最初はすぐ手を下ろし、「破の舞」の笛がかかってきたところで、二度目のシオリに入る。

(破の舞)

[形の要諦]
二回目のシオリはえらく長く、辛抱を要するところである。即ち、大鼓の掛け声のヤア、ハン、ハーを三回、シオリのまま聞き、三回目の最後のハーが昂ぶってきたところで、おもむろに左手を額から引き剥がすような心で外す。
以下、笛のメロディーに合わせて、三足目かけて角に行き、更にワキ座あたりに向かい、反転して角方向に扇をかざし(サシ)、大小前に廻りこみ、扇を前に押し出すようにして正面先まで進み(霞扇)、下居して扇を前に置き、素手にて合掌する。下居の際は、最後の左足が前に出たらすぐ腰を下ろして右ひざをつく。合掌のとき、目線を下げすぎぬようにする。他の合掌のときも同様であるが、一般に素人は面を曇らせ過ぎる傾向がある。ここでの目線の角度は、概ね二間ほど先を見る感じである。

(以下キリの地謡)

@ここは元より忝くも。神風や。伊勢の内外のA鳥居に、出で、B入る姿は生死の道を。神は受けずや、思ふらんと。Cまた、車にうち乗りて。D火宅の門をや、出でぬらん、火宅の門」

[形の要諦]

@下居のまま、左手を前方にさし延べる。お稽古を見ていた流友のIさんから、右の手が男になっていると指摘された。無意識のうちに、太い指を広げて右の膝を掴んでいたものらしい。このあと、「神風・・」で、扇を拾って立ち上がり、正面に左、右と二足つめる

A「鳥居」で右足を上げ、作り物の鳥居の敷居を向こう側へまたぎ出で、「出で」でその 足を引き抜くようにして元の位置に戻す。見せ場の一つである。

B右にねじて角に行き、更に左にねじてワキ座まえに行き、舞台の中心あたりを見計らって扇の要元あたりの骨、二本分をつまむ。(ツマミ扇)

Cつまんだ扇を、野球で言えば投手のスリークォーターのフォームで、扇の面を前に垂直に向けながら舞台中央へ進み、右、左と二つ足拍子。

D扇をつまんだまま、大小前に右回りで廻りこみ、舞い納めのときの定番の形である 「左 右・打込」をして下居。



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