6月一杯で会社とは縁が切れるので、自前のパソコン環境を一から新しく作ることにした。パソコンを購入し、INS64回線を引き、プロバイダーに加入し、プリンター、スキャナー、デジカメ等を買った。そして、必要なソフトを揃え、ホームページを作るという一連のことを行ったのであるが、そこで起きたことを書いて置きたい。喉元過ぎれば熱さを忘れると言うが、その熱さを忘れない内に書いておかねばと思う。一口に言って、それは、これまで体験したものとは異質の不快、苦労の連続だったと言ってよい。

メーカーの名前を実名で書くが、これは、その会社を憎んでのことではなく、おそらく、どのハード、ソフトのメーカーも大同小異と思うが、A社、B社と書いたのでは力が入らないからである。

WEBの国のインフラ

一月九日、IBMのアプティバという機種を買った。64MBのメモリーに40GBのハードディスク。迷った挙句、この機種を選んだのは、他愛もないことで、ホームページを作るソフト「ホームページビルダー」が付いていたからである。付録につられて雑誌を買った幼き日のように。箱から出して、マニュアルに従って組立て、ソフトをインストールしていくのであるが、そのソフトはCD―ROM何枚かに分かれていて、結構大変な作業なのである。私は長年コンピューターと縁の深い仕事をしてきたが、何時も身近に若い専門家が居たので、この手の苦労は一度もしたことがなく、それに加えて、私は大の機械嫌いで、蛍光燈を取り替えるのも厭だし、ビデオの録画も失敗ばかりの男であるから、これからの話もその積りで読んでいただきたいのであるが、まあ、一仕事であった。

一方、NTTにINSの工事を依頼し、パソコンを回線に接続のためのターミナル・アダプターを買った。アダプターはNECもので、箱を開けたとたん厭な予感がした。掌に乗る程の機械に、200頁程のマニュアルが付いているではないか。このマニュアルは通信専門家が書いたと分かる。案の定、悪戦苦闘、(マニュアル通りにやればよいではないかと思われるかも知れないが、必ず間違いが起きるように書かれてある。)NTTの工事の後、ターミナル・アダプターをいじっているうちに、電話と接続しているマンションのオートロックのドアが開かなくなって、急遽NTTを呼ぶというハップニングもあった。いざパソコンが回線に繋がって、プロバイダーに加入しようとすると、これが旨く行かないのである。パソコンにはプロバイダーに簡単に接続できるようなソフトがあらかじめ組み込まれているが、これが働かない。ターミナル・アダプターとの関係でそうなっているかどうかもわからない。ターミナル・アダプターの方は自社系のプロバイダーは簡単に接続出来る仕掛けになっているが、他のプロバイダーを使う時のやり方が今ひとつ解らないのである。結局、会社のパソコンからプロバイダーに加入し、詳細なパラメータを送ってもらい、それを入力して、やっと繋がった。(と言ってもプロバイダーに電話を入れ、その指示を受けながらパソコンに入力するのである。ここで重要なことは、パソコンと電話が同時に使えるようになっていることで、そうなっていないと、この世界への適応は難しい。)

これが、パソコン購入して二十一日後のことである。惨めで、多難なスタートであった。

プリンターを接続することはいともた易いことである筈だが、私の場合はそうは行かなかった。少し歪んで印刷されるのである。マニュアルを繰り返し読み、色々試みるのだが、埒が明かない。最も不愉快なのは、メーカーのヒュレートパカードに連絡が取れないことである。カタログに書いてある電話番号は何時もビジーだし、本社へ電話して担当を聞くと、教えてくれ番号はFaxの番号で、我が家にはFaxはない。ホームページからも問い合せができない。思い余って、買ったヨドバシカメラに機械を持ち込んでテストしてもらったら、紙送りのローラが不良で、別の新しい機械と取り替えてくれた。その間一週間、なんと無駄な、苛立つ時間を過ごしたことだろう。

キャノンのデジカメは画像がパソコンに取り込めず、プリンター以上に苦労した。さんざん試みた挙句、結局、カメラに付いていたソフトでは駄目で、インターネットからソフトをダウンロードしなければならないことが判明し、そうしたが、すっかりデジカメ嫌いになってしまった。唯一、スムーズに行ったと思ったのは NECのスキャナーであるが、私の機種には不要なソフトが入っていて、それをインストールしてしまったことと、スキャナーを接続せずに、パソコンを立ち上げると、真っ先に、スキャナーが接続されていないが良いかと聞いてくる。親切といえば親切かもしれないが、毎回のことで煩わしい。

一事が万事、最悪のコースを辿っているとしか言いようがなった。「マーフィーの法則」と言うのが一頃流行ったが、それは「物事がうまく行かない可能性がある場合、必ず、うまくいかない方が起きる」という類の法則集で、トラブルが続くので、取り出して読んでみると、なるほどと思う法則が多く出ていて、苦笑を繰り返した。いずれ、みなさんも色々と経験されると思うので、私は後2、3を報告するに止めよう。

IBMのパソコンがよく止まるで、メモリーを増設することにした。コンピュターの中を開けてメモリーを増やすという、一種の外科手術のようなことをやったことがない。マニュアルはコンピュターの中に入っているので、困らないように、あらかじめ該当の個所をプリントアウトして取り掛かるのであるが、まず、コンピュターの蓋が開かないのである。蓋ぐらい簡単に開くだろうと思い、そこの所は印刷していなかった。もう一度、電源を差し込んでパソコンを立ち上げ、マニュアルのその個所をプリントアウトして、一から遣り直しである。そしてようやく、蓋が開いて、くだんのメモリーをはめるのだが、うまくはまらない。3時間ぐらい悪戦苦闘の末、なんと自分は無能なのかと思いながら、IBMに電話したが(これが曲者であることは、すぐ後で説明するが)埒が明かない。結局、買ったヨドバシカメラへ何キロもあるパソコン本体を持ち込んで、見て貰うと「このメモリーは、店員のミスで、間違った型番ものをお渡したようです。大変申し訳ありません」と言う。正しいメモリーと交換の上、セットアップを無料でしてくれた。(当然のことであるが、この間の、私の焦燥はどうしてくれるというのか。)  

絶えず、何かのミスや欠陥が介在して、つらい目に遭いながら、ようやくホームページ作りに掛かると、どうも変なのである。市販のマニュアルと違うのである。私のパソコンにはホームページビルダー2001というのが入っていて、これがIBMを選んだ理由であるが、どうもおかしいのでIBMの係りに電話で問い合わせて見ると、現在はヴァージョン6であるが、入っている2001というのは一つ前のヴァージョン5だと言う。これには開いた口がふさがらなかったが、窓口の女性と喧嘩しても仕方がないので、ヴァージョンアップのソフトを買いに行くことにした。このようなことはこの業界では常道なのかもしれない。


ホームページ作りは(普通の人はこの当たりか入るはず)マニュアルを見ながら練習し、次第に、実物を作っていくのであるが、大変良く出来ていて、理屈はよくわからないが、何とか作れるのである。素材を用意し、編集モードで編集し、プレビュー・モードで確認する、これを一ページあたり数回から十数回繰り返すと出来る。

そうしている内に、二月が過ぎ、三月となり、四月の初めに、いよいよホームページをWebに載せる日がやって来た。色々調べ、おっかなびっくりで、データを転送し、今度はWebにアクセスして、見るのである。胸をときめかして見てみてみると、練習用に作ったページが出てくるではないか。

この日は布団を被って寝てしまった。

翌四月三日、半日かけて色々試みて、十二時三十分、最初のAlice in TokyoのページがWeb上に姿をみせた。万歳を叫んだ。アリスがこの世界を自力で歩き始めたのである。

喜んだのは束の間であった。小さな欠陥がいくつもあり、それを直すのにさらに十時間位かかった。(ここにはホームページを見るソフト(ブラウザー)の問題があり、大変面白いのだが、割愛)

それからも行き詰まって、どうしようもなくなることが毎日のように起きるのであるが、ハード、ソフト、回線、プロバイダー、いずれも高度化、複雑化しているので、問題が起きると、どこが問題か判定だけでも大変なのである。それがソフトの問題だとしても、そのソフトは機能が多くあり過ぎ、よく分からない。自分が無能なのではないか、と落ち込む。どこへ怒りをぶつけてよいのか判らない。私は何十年もプログラマーを使って来た人間であるが、これがプログラマーなのだと、自らやってみて、初めて分かった。彼らの無口で、やや寂しげな表情の裏にある苦しみが。

人間の作ったシステムの不備に毎日遭っていると、逆に自然界が素晴らしシステムに驚き、これを作ったのはきっと全能の神だという思いがするのである。

そうこうしているうちに、パソコンがついにダウンしてしまいまった。話には聞いていたが、初めての経験で、途方に暮れてしまた。これまでインストールしたソフトや打ち込んだデータはどうなるのか。この日も布団を被って寝た。

結局、サポートセンターに連絡を取るしかない。ここで、そのやり取りを少し再現してみよう。

  まず、長いコードの電話機をパソコンの傍へ持ってくる。IBMのサポートセンターへダイヤルする。

「こちらはIBMのサポートセンターです。アプティバをお使いのお客様は1を、シンクパットをお使いのお客さまは2を・・・」とテープが流れる。1を押すと。

「アプティバの係りにお繋ぎいたします。」テープ

「アプティバの係りにお繋ぎしました。ピーという音の後、10桁のお客様番号を入力ください。」テープ。入力する。

「ただ今、係りが混んでおります。しばらく、お持ちください。」とテープ。この間サティの音楽が流れる。不思議とサティが合っているのである。そして、一分毎に同じテープのアナウンスがながされ、10分以上待って、ようやく、繋がる。初めて聞く女性の肉声。

「大変お待たせして申し訳けありません。お客さん番号をお願いいたします。」ぐっと我慢して、さっき入力したお客様番号を言う。(この前は3回言った。)

「お客様の機種をお教えください。」

「お客様番号を申し上げているのに判らないのですか?」

「申し訳ありません。ただいまコンピュターが故障しておりますので…」

「機種と言われても、どこに書いてあるのですか?」

「本体の後ろに書いてあるはずです。」眼鏡を外し、机の下のパソコンを見るのだが、もう、しどろもどろ。やっと見つけてそれを告げるが、もう、この段階でうんざり。

「コンピュターがクラシュして、途方に暮れています。」

「どういう状況ですか」

「かくがく、しかじか・・・」

「マイコンピュターをクリックしてください。」

「しました。」

「設定をクリックしてください。」

「しました。」

「システムをクリックしてください。」

………延々と続く。

「…が出たらメインスイッチを切ってください」

「あっ。過ぎてしまいました。」

「もう一度、初めからやってください。」

(中略)

「セーフティーモードでだめですから、一からリカバリーするしかありません。リカバリーはマニュアル2の3の17ページにあります。」

「3ヶ月間のデータがハードディスクに入っているのですが、何とかならないのでしょうか?」

「どうしようもありません。」

「ハードディスクからデータを取り出す専門業者はないのでしょうか?」

「当方は存じません。」

「…… そうですか。いずれにしろ、長時間、有り難うございました。」

「どういたしまして。お困りの時は又どうぞ。」

電話をかけてから一時間以上は経過している。電話が繋がっただけでもよかったと言うべきか? とにかく、一旦、すべてを忘れよう。

こちらも大変だが、この相談係のストレスは大変なもののようで、何しろ、電話の向こうには、マニュアルを何度も見て、色々試みた挙げ句、困り果てている者が、長時間待たされ、いらいらしながら待っているのであるから、それに対応する人は、精神障害を起こす人もいると聞く。担当は女性が多い。どういう訳か、女性の方が冷静に対応しているように思える。

さて、結局は困った事態となったことが明らかとなっただけであるが、原因もわからないし、一体誰に怒りを発してよいのか判らない。

この世界では、絶えず、このようなことが起きているが、その最初の怒りを、直接人に向けないように、出来るだけ人間的要素を避けるのが、現代流なのである。今の電話でもわかるように、殆どの会社が、最初の段階を、テープで対応しているようである。

その日は、この種の話が判る友人に電話をして、興奮を鎮めるほかなかった。翌日はビックカメラの店員をつかまえて話してみるが、妙案なし。気分転換に映画館に入ったら、これが又恐い「ハンニバル」という映画であった。

三日目、ようやく気を取り直し、復旧にかかるが、その前に、買った時点の状態に戻さなければならない。増設したメモリーを外すのは気が進まないので、今度は、ヨドバシカメラへ行き、聞いてみるが、やはり外さなければならないと言う。四日目、やっと作業に入る。まず、Windowsをインストールして、買ったときの状態にし、一月九日から一ヶ月くらいかかった作業を一から復元するのである。何とか元の状態へ復帰できたと思ったのは、クラッシュ後、二週間後であった。

問題のデータであるが、この大半はホームページのデータで、プロバイダーのサーバーに同じものがあるので、それをもう一度、パソコンに呼び戻せばよかった。これは、前から気が付いていたことであるが、ホームページを作って置くことの大きなメリットはデータがWeb上にもあることなのである。しかし、呼び戻すと言っても初めての者には、これは不安が伴い、色々聞いたり、調べたりした。こんなことはマニュアルには書いてない。なんとか、それに成功すると、今度は取り返したデータを基に、新たにプロバイダー側のデータを更新して行くのであるが、制御が利かなくなった人工衛星を再び地上のコントロール下に置くような、劇的な感動を味わうのである。

〔ここまで歩みに興味ある方はAlice in Tokyoの工事日誌をご覧ください。〕

この五ヶ月間に費やした私の時間の八割がトラブル対応と言ってよく、そこで味合う苦労は,これまでとは異なった非人間的なもので、つまり機械、技術の間にあって、それらが、それぞれ分からない言葉で連絡を取り合っている世界なのである。未だ、それぞれが未熟な上に、それぞれの部分が急速に変化して行くものだから、訳が分からないのである。これに人間のミスが加わる。私にとり、言葉のわからない初めての外国の町を歩く方が数等易しく、楽しいことである。また、この国の言葉を理解するより、シェイクスピアの方がはるかにやさしく、習得しやすい。

あと二十年ぐらい経つと事態が変っているかもしれないが、こんな中で育っていく子供たちは、もう我々とは人種が異なっていると考えてよい。

この国の住人になるには、現在の環境では年齢的な制約があるようで、目と記憶力が衰えない前に入らなければならない。

目は、例えば、英文半角文字の点(ピリオッド、ドット)は小さくて見にくいのであるが、これが決定的役割をする。記憶力は、この世界では未だ試行錯誤の繰り返すほかなく、上手く行ったこと、行かなかったことを覚えておかないと堂々めぐりを繰り返し効率悪い。ある年齢からは新しいものほど早く忘れる。

もし、あなたが、ある年齢を過ぎておられるなら、選択肢は、四つ。

一つは、Webの世界に全く関心を示さないことである。車時代のインデアンのように馬に乗って自由に走ればよい。

二つ目は、全く享受するだけの側に回ればよい。人の車に載せてもらえばよい。せいぜい、メールが打てて、ホームページは見だけにすればよい。さらにやりたいことがあれば、専門家を雇えばよい。

三つ目は、自らWeb上で、自分の意志に従い動きたい人向けだが、ゆっくりと基礎

から時間をかけて積み上げれば良い。何事もゆっくりやれば、苦痛はそれだけ薄まるはず。

四つ目は、遮二無にこの世界に飛び込むのもよい。私は、不思議の国を恐れないアリスであるから、この方法を選んだ。これを選ぶと、私のように90%の苦しみと5%の安堵感と5%の喜びを得るはずである。

Webの国のコンテンツ

ここではアリスはやや生気を取り戻している。そのことを書くつもりであるが、その前に、ホームページを見ておいて頂かなければ、話がしにくい。

http://www.alice-it.com/の中の「Alice in Tokyo について」など一読しておいて下さると有難いですね。

次回、続きを書きます。  次ページへ      遊山へ    Alice in Tokyo へ