汽車の旅と言えば頭に浮かぶのは宮脇俊三さんである。プラットフォームに着いたら先ずは、乗車する列車編成を先頭から最後尾迄、じっくりと見て歩くのが正しい列車の楽しみ方と著書にある。筆者も古の鉄道少年として、その通りだと思う。しかし、残念な事にツアーの手筈が良すぎると言うか、辛うじて六時の出発に間に合う状態でホームで一枚の写真を撮るのが精一杯、アウトバゴンークスコ・マチュピチュを往復する観光列車―は音もなく走り出す。後から考えてみると、ここクスコでは空港や駅が一番治安の悪い場所の為、旅行会社としてはそこらを勝手にブラブラと歩き回られては堪らないとの策略であったらしい。大体、折角のアウトバゴンの旅なのに乗車券さえ個人には配布されないし、改札口自体、何時通り過ぎたのかも判然としない位の流れ作業で列車に案内される。

 列車は、日干しレンガの民家の軒先をかすめ、スイッチ・バックを繰り返しクスコ盆地を登って行く。やけに警笛を鳴らしながら登るのは何事かと思っていると、今折り返して来た下の線路上を、ズタ袋を背負ったおばさんがテクテクと歩いている。成る程、鉄道の線路は生活道路でもあるらしい。確かにスイッチ・バックを繰り返さなければならぬ様な急斜面を、真っ直ぐに登り、下りしなければならない歩道より線路の方が便利なのだろう。後から知る処となるのだが、峠を登り切ってからマチュピチュへ下って行く途中では線路上に放牧された家畜がウロウロしており列車の進行には警笛が不可欠である。何んの事はない片道三時間警笛は鳴りっぱなしなのである。

 こんな話にお付き合い頂いている諸氏に一つ役立つ情報を書いておく。マチュピチュに向かうアウトバゴンは進行方向左側に座るのが正解である。出発直後の登りは常に左手、クスコ市街を臨む。一時間余り走った処でウルバンバ川が右側から接近して来るが、直ぐに鉄橋を渡り、以降目的地迄、左の車窓にその景観を楽しむ事が出来る。当然、帰路は進行方向右手に座るべきである。我々は団体なので車両の半分程度の座席が予め確保されていて左右の座席選択は自由、皆平等にと言う事で結果的には往路、帰路で左右の座席交代となった。筆者は事前調査怠りなく、往路の景観を重視、左側に陣取る。帰路、右手に臨むクスコの夜景も素晴らしく、どうやらこの選択は引き分け、勝負なしである。

 ウルバンバ川はアンデスに源を発しペルーを北に流れアマゾンに至る渓谷で、マチュピチュに向かうアウトバゴンは只管この流れに沿って進む。遺跡を発見した米国人ハイラム・ビンガムも又、この流れを集落から集落へ遺跡の情報収集を行いながら下って行った。当時は外国人等近寄らぬ、言わば秘境であった。今でもこの流れを渡る橋は殆ど見当たらない。途中に82KM、88KMと言う―何れもクスコからの距離を示すー味も素っ気もない名称の駅があってここで対岸に渡る事が出来る。82KMも88KMもインカの旧道をマチョピチョ迄繋ぐトレッキングコースの出発基地で、トレッキングはこの橋を越え「インカ・トレイル」へと進む三泊四日の旅程である。他にも、もう少々マチュピチュに接近した地点から一泊二日のお手軽版もあるらしい。このコースはタンボ跡ー宿場駅跡―を巡りマチュピチュ迄の険しいインカ道を進むが、最近ではポータ、コック付きのツアーが数多くあり、比較的容易に踏破可能らしい。インターネットで「インカ・トレイル」を検索してみると日本人だけでも数十にも及ぶ体験記が見付けられ、南米を放浪するバックパッカーには人気のトレッキングコースである。

 南米は現在早春にあたる。アンデスに残雪がかかっているのではと、眼を凝らしてみるが一向にその気配はない。クスコから二時間、この辺りは二千数百米程の高度、車窓に臨む峰はどう考えても三千〜四千米はあるに違いないのだが・・。88KMを過ぎ右手にひときわ高い峰が表れ、冠雪を発見する。アウトバゴンの窓はこの峰を臨む事が可能な様に天井近く迄開いている。所謂サロン・カーのスタイルである。地元のカイドさんー後から聞いた処、インカ好きが講じてOLを廃業し、日本からクスコに移り住んでいるお嬢さんだがーが「霊峰ベロニカ峰、標高は五千米級、ペルーの緯度では標高五千米以下では雪を見る事は希です」と紹介して呉れる。そうか、ここは赤道近辺の土地なのだと改めて認識する。この緯度では熱帯性の気候に悩まされるはずであるが、太平洋岸リマでも沿岸を南極から北上するフンボルト海流が冷気を齎し、この季節涼しいと言うよりは寒いと感じた。

 マュピチュ遺跡はアウトバゴンの終着駅からつづら折りの坂道をバスに揺られる事三十分。この坂道は遺跡発見者に因んで「ハイラム・ビンガム道路」と呼ばれる。高度を上げて行くにつれ谷底に今乗って来た列車の青い車両がミニチュア状になって見える。このアングルはマチュピチュ観光ガイドの定番、数年以前に貰った旧友の嬉しそうな年賀状の写真を思い出す。しかしいざ自分がその場に立つと、「まぁ、こんなもんか」位の感覚で自分自身、拍子抜けしてしまう。

「暗黒の地」全文は遊山31号に掲載
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  暗黒の地 (抄) 

     陣 万里