不思議の国より不思議な国のアリス

*2b 「千と千尋の神隠し」とアリス(2)

Alice & Chihiro

アリスはほとんど無意識のようにウサギを追ってウサギ穴に入るのですが、千尋はトンネルの中に入るのに大変躊躇します。もともと住み慣れたところから、新しい土地の学校に転校することもいやだった上に、クラスメートが呉れた花束も萎れ始め、過去との決別がどうしようもない形で訪れようとしてます。そんな気分の中で、行きずりの、変なトンネルなど興味が持てません。ここへ入ってはいけないと虫が知らせるのでしょうか、心の中に強い抵抗感が生じます。そのことを両親に訴えるのですが、脳天気な両親がずんずん入って行くものだから、やむなく穴へ入って行くことになるのです。

このように、アリスと千尋の物語はスタートから違いますし、他の多くの点でも異なっていますが、私は「アリスの物語と『千と千尋の神隠し』には強い接点があると思います。

この二つの物語を要約すると「この作品は、武器を振りまわしたり、超能力の力くらべこそないが、冒険ものがたりというべき作品である。冒険といっても、正邪の対立が主題でなく、前任も悪人もみな混じり合って存在する世の中ともいうべき中に投げ込まれ、修行し、友愛と献身を学び、知恵を発揮して生還する少女のものがたりになるはずだ。彼女は切り抜け、体をかわし、ひとまずは元の日常に帰って来るのだが、世の中が消滅しないと同じに、それは悪を滅ぼしたからではなく、彼女が生きる力を獲得した結果なのである。・・・」

これは実は、宮崎駿の言葉で、『千と千尋の神隠し』の映画のパンフレットや本に出てくるものですが、私が二つの物語の共通点と思うところにほぼ一致します。

アリスの物語も千尋の物語も、思春期前の少女の異界での冒険とその生還という点で共通していますが、二人の主人公のアイデンティティの確立と言うのとはちょっと異なっていています。もちろん「自分とは何か?」は大きなテーマですが、むしろ、主人公のアイデンティティは余り揺らぐことはありません。性格は、ごく普通、エキセントリックな要素が少なくて、適当に俗っぽさももっているので、これが、読者に深い安定感を与えていいます。

二人が冒険で得たものは、生きる勇気であり、力で、そのことが言わず語らずの内に伝わってきて、我々の心底に共感を呼ぶのだろうと思います。

もちろん両者の相異点も多くあり、アリスは7歳、千尋は10歳と年齢の開きが大きく作品に影響を与えていと思うのですが、私が感じる大きな点を示しますと、まず、ノンセンスの度合いが異なるということです。千尋の物語は話の展開にそれなりの必然性があり、脈絡があるということです。これも千尋の年齢が要求していることかもしれません。

「アリスの物語」では終始ノンセンスなのに対して、「千尋の物語」では、ぱらぱらと散りばめられているという感じです。

差異の二つ目は、主人公を取り巻く者が、主人公に対して示す愛情が異なるということです。アリスが周りのキャラクターからつっけんどんに扱われるのに対して、「千尋の物語」の場合はハク、釜爺、リン、カオナシが愛情を持って主人公を支えています。この方が児童文学ではおそらくこれが普通で、「アリスの物語」は特異と言ってよいと思います。

以上が二つの物語に感じる総括的な感じですが、二つの物語を比較することにより、アリスを更に深く理解することになると思いますので、これから、もう少し細部について、折にふれ書いて行こうと思います。

私が取り上げたい項目は次のようなものです。

トンネル、変身、名前、鉄道、赤ん坊、豚、暴君、水、飽食と嘔吐、帰還・・・

(つづく)