8月27日の夜、サン・モリッツは時ならぬ雪に見舞われた。28日朝起きてみると、一面の銀世界、今日は一日自由行動、さてどうしたものか。朝食を済ませた頃には,雪は止み、晴れ間も覗いてきた。  まずは、当地の生んだ画家セガンチーニの美術館に行き、それから湖の辺へ出て、治療用の温泉の界隈を散策し、湖の辺のベンチに腰掛け、雪を頂いた周囲の山々を眺め、可愛い子供をつれた外人の親子ずれと簡単な会話をかわしたりして、のんびりと過した。
 昼食は、ピザ屋に入り、これぞと思うピザを注文し、炉で焼いてもらった。美味しかった。ふと、ベルニナ越えの列車が、サン・モリッツからイタリアに向けて出ていることを思いだし、今日はさぞかし雪で綺麗だろうなと思い、乗ってみることにした。
 急ぎ、駅へ行ってみると、ガランとしていて人影は全くなし。しかし、ホームには自由に入れる。  時刻表を見ると、15分後に出るイタリアのティラノ行きの列車がある。
 ティラノは国境のベルニナ峠を越えたイタリア北部の町、ミラノの東北に位置する。
 ホームに止まっている列車は、確かにティラノ行きと書いてあるが、人影がない。
 どうしたものかと、思っていたら、機関車の後ろから車掌が降りてきた。これは占めたと話かける。しかし、全く通じない。私が考えていたのは、どこか峠近くの途中の駅まで行って、違う列車で引き返してくるというものだった。彼はフランス語しか話せないという。私は英語でないとだめ。身振り手振りも交えて懸命に意を通じようとしても、全くダメ。発車の時刻は迫ってくる。ふと見ると、彼の尻のポケットに時刻表らしきものがささっている。「それを見せろ、この列車はどれだ?」と云うと、やっと判ったらしく、ページを開いて示してくれた。これは占めた。1時間ほど行ったところに太字で書いた駅がある。
 駅名はアルプグリュ−ム。よしここだ。帰りの列車は近くのページに出ている筈だと,前後のページを繰る。あった。しかも、30分程の待ち合わせで帰りの列車があるでははいか。サン・モリッツ着は5時前。願ってもないことだ。両方のページで両方の列車を指で示して、往復切符をつくってもらうことに成功した。
 列車はおとぎの国を走っていくように、のんびりと走る。小川には雪解け水がとうとうと流れ、真夏だというのに、青葉が目に染みる。駅に止まる度に車掌はホームに降りて、乗降客や信号を確認し、大げさなゼスチャーで笛をふく。雪を頂いた峰々の間を縫って列車は序々に高度をあげて行く。幻想的な湖ラーゴ・ビアンコ、まるで月世界の静けさに包まれたようだ。約1時間、目的の駅アルグリュ−ムに到着。登山の基地の駅なのであろう、結構沢山の人で賑わっていた。
 乗ってきた列車の窓を大きく開けて、車掌が大きな仕草で手を振ってくれた。 反対側のホームで私も手を振り、遠ざかる列車を見送った。
(1996・8・28)        
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