フィレンツェ中央駅を降りると、旅行案内所に長い列が出来ていたので、いきなり荷物を引いて、駅前のホテルを探すことにした。ヴェニスのように人の多い所でも簡単に取れたのだから、案内所のお世話にならなくとも大丈夫だと踏んだ訳である。ところが、どこも満員。私と同じような考えの二組の旅行者と後になり先になり、探す。空いていそうな二流ホテルは建物の二階、三階にあることが多いで、まず、五、六段の石段を上がり、中に入り、ドアーを手で開ける方式のエレベーターに乗り、ホテルのデスクに着いて、泊れるのかどうか聞くのであるから、度重なると、難行苦行となる。四十キロ前後の荷物をゴロゴロ引いて、フィレンツェの街をさ迷い、疲労困ぱいの末、考えたのは、原点に返り、駅に戻ろうということであった。フィレンツェの駅に戻ったのが、八時過ぎ。二時間も歩き回っていたことになる。

駅の一時預け(十二時間五〇〇〇リラ)に、大きなバックを預けて、身軽になって、ガイドブックを広げると、嬉しや、案内所の営業時間は八時半までとある。急いで駆けつけてみると、さばけない客が大勢いて、定刻前であるが、案内所に入れてくれない。いよいよ今夜は駅で一夜を明かさなければならないかと思ったが、それにしても財布には現金が殆どない。両替屋を捜すが、駅のはもう閉まっていて、駅前を探すがこれも見当たらない。途方に暮れて駅に引き換えそうとすると、間口一メートルほどの両替屋が(先ほど前を通ったのだが気がつかなかったのだ)まさしく蛇腹のカーテンを下に引いた所であった。声を掛けるとそのカーテンを上に挙げて、両替してやるという。間一髪で両替に成功し、両替屋の若い男性に礼を言い、「ところで、ホテルが取れなくて、困っているんだけど、何かいい知恵ないかしら?」と問うと、Pratoという所へ行ったらどうか。そこにはホテルが多い。 Cap というバスのPrato行きが九時にあるはずだからとバス停を教えてくれた。 今やこの人の言葉に頼るしかない。バス停らしき所(別になんの標識もない)では数人が待っていて、女学生やビジネスマン風の人に、ここはPrato行きのバスの出るところか、Pratoはホテルのあるような街なのか、と聞きながら、バスを待つのだが、そのバスが十分経っても二十分経っても来ない。そのうち女学生もビジネスマンも別のバスで去ってしまうし、心細い限りである。

バスは九時半ようやく来て、十名前後の人たちと乗ると、私の後から乗った労働者風の男が英語で話し掛けてくる。マレーシヤ人で、二十五年ほど前、イタリヤに来たと言う。私もマレーシヤへは行ったことがあるので、その話をする。バスは高速道路にはいった。(とその男が教えてくれる)郷里はマレー半島の南端で、樹ばかり、など、いろいろな話をしている内に、その男が言うには、終点のPratoで降りるよりも、一つ前の所で降りる方が、ホテルが多いと思う。自分は余りPratoのことは知らないのだけれど、数回この路線を乗った経験から言うと、一つ前で降りる方がホテルは多いと思う。私としてはこの男の言を信じるかどうか、ちょっと迷ったが(下手をすると野宿になるかも)、そうしようと決心し、その男に告げると、なんなら一緒に降りて、探すのを手伝ってあげようかと言う。(この人、私と降りて、ホテルが見つかったとして、その後、この時間に、どうする積りなのだろう?ひょっとして悪い動機でもあるのでは?)大丈夫、自分独りでやるからと好意を断って、確かにホテルのネオンが三つばかり見えるバス停で降りた。降りる時、マレーシヤ人にお礼の会釈をすると、心配そうに手を振って応えてくれた。(一瞬ながら、疑ってごめんなさい)

  暮れるのが遅いフィレンツェももう暗くなっており、真っ暗な田んぼの真ん中の様な所に、私ともう一人客が降りた。その人は声を掛ける暇もなく立ち去ってしまったので、独りで一番近そうなホテルへ向けて、二百メートルたらず歩くと、着いた所は大きな立派なホテルであった。「フィレンツェで宿が見つからず、ここまで来たのだけど、泊る部屋ありますか」と聞くと、満員だという。受付嬢は回りのホテルに電話を掛けてくれるが、どこも満員だという。今、フレンツェで繊維の見本市が開かれているので、この地区のホテルも皆満杯だという。私:何か良い知恵ないかなあ? 嬢:二、三十分の所にモンテ何とかという街が有るのだけど、宿が取れるかどうか判らない。 私:タクシーでフィレンツェへ帰るとしたらどのくらいかかりますか?  嬢:フィレンツェへ帰ってどうするつもり? 私:駅で一夜を明かすつもり。 嬢:!!! (私には先ほどからロビーの大きなソファーが魅力的に見えて仕方がない)しばらくの沈黙の後、何やら盛んに電話を始めたので、私のことなどもう忘れられたのかと不安になっている所へ、嬢:今晩、このホテルへ泊れますよ。私は思わず両手を挙げて、バンザイと言ってしまった。受付嬢も我が事のように喜び、握手を求めてきた。You are my angel !  I am in Heaven now !  Thank you !  Grazie !  カウンターが間になかったら抱きしめる所だ。

  一体どうしてこんな奇跡が起きたのかと聞くと、予約客の内、この時間に(十時を少し回っていた)、未だ着いていない客に順番に電話をして、今夜来ない人を見つけたという訳。何泊するかと聞くので、二泊と答える。もともとフレンチェでは二泊と思っていたし、こんな良いホテルPALACE HOTEL四ツ星)が、都心の三、四 割も安く泊れるなんて、覚悟していた野宿に比べるとまるで天国のようである。

  一件落着すると急にお腹がすいてきた。何しろ、お昼ヴェニスで食べたきりだから、お腹も空くはずである。私:レストラン未だやっていますか?  嬢:十時までだけど、頼み込んでご覧なさい、と言って、手を合わせ、拝む真似をするので、日本人の仕種と似ていておかしかった。私がレストランへ行くと、小走りに付いてきて、ボーイに一言頼んでくれた。まずビール。メニューは前菜的なものしかできないので、スモークド・サーモンを頼むと、出てきたのは、生野菜の上に、驚くほど立派で、厚い生ハム(こちらで食べた生ハムは厚くて、やや硬め)のようなサーモン8片にレモン。気を利かせてパンも持ってきてくれる。安堵の気持ちも手伝って、美味しさが全身に漲る。レストランの一角で宴会をやっていた日本人(繊維業界の人たち?)も去って、私一人になったが、ビールをもう一杯お代わりし、自分の部屋に入った。それは大きな、ダブルベッドのぴかぴかの部屋で、早速風呂に入り、汗を流し、ミニバーからビールを出して、改めて、神様にお礼を言って乾杯した。十二時だった。

 

  翌朝、洗面具を駅に預けてあるバックに入れているので、その旨をフロントに言うと、例の受付嬢(Chiara Renziさんという名前)が出て、直ぐボーイにかみそり等一式届けさせてくれた。歯磨きチューブは優に二ヶ月はもつような大きいものであった。(実は1年近くもった。)

  その日は、ゆっくりとフィレンツェ見物を済まし、帰り際に、例の両替屋さんに、事の顛末を報告しておこうと立ち寄ると、別の女性に変っていた。昨日はここの男性に助けられてね、と言うと、瞳の青い子でしょう、と言う。その青年の瞳は青かったのか、と頭の中で青年の顔を思い浮かべながら、Pratoでホテルが取れた、有り難うと言っていた、と伝えて欲しい、とお願いしたら、笑いながら、任しておけという顔で肯いた。

ホテルへ戻ると、受付嬢も交代していて、チアーラさんはいなかった。ホテルの便箋に

「チアーラさん。あなたのお蔭でフィレンツェの滞在は素晴らしいものになりました。有り難う。あなたが何時までも幸せであるよう、祈っています。宮垣」と書いて、翌朝、フロントに、チアーラさんに渡すよう頼んで、ホテルを去った。

   (後で地図で調べると、Prato Firenze Pistoiaの中間にあった。)

 

目次へ   Alice in Tokyo    

宮垣 余間