ノ ル ウェ イ


                       
             ハダンゲルフィヨドルの寒村

  平成十五年七月十日から一週間、ノルウェイを旅した。

  フィンランドを含めた北欧四カ国の内、ノルウェイだけ行っていなかったのと、カメラを新調したついでにフィヨルドを写真に収めたかったからである。

  スカンジナビア・エアラインでコペンハーゲンに飛び、ここで乗り継いで、リーセ・フィヨルドに近い港町スタヴァンゲルにその日の内に着いた。
コペンハーゲンの空港を飛び立ってしばらくはデンマークの沃野が眼下に広がっていたが、スガゲラグ海峡を渡って、スカンジナビア半島に入った途端、これまで見たことの無かったような荒々しい大地のうねりが展開されてきた。耕地らしいものは見当たらず、ただ、岩山とその隙間に入り込んだ細長い入り江と、残雪の合間に散在する多くの池が見えるばかりである。
こんな土地に住み着いても、生きていくためには他人のものを掠め取る以外にすべが無かったろうし、かつては、北欧諸国の中でデンマークのみが盟主になり得たであろうことも、機上から大地を見下ろすだけで理解できた。

  スタヴァンゲルはノルウェイ第四の都市で、かつては漁港として栄えたが、今は観光拠点としてのほかに、北海油田の基地として栄えており、港の沖合い一キロほどの所に巨大な海底油田掘削基地(リグ)が碇泊している。
港の周辺は十八世紀の建物をそのまま残す旧市街で、宿舎のホテルもその一角にあった。
午後九時を過ぎてのチェックインであったが、曇っていて太陽は見えないものの、まだ十分に明るく、ホテル周辺のレストランのテラス席は食事を楽しむ人たちでどこも満席の状況である。
 目星をつけたレストランで席が空いていなかったため、しばらくの間、ひっそりと静まりかえって、足音だけが耳に響く石畳の路地を散策した。
レストランに入ることが出来たのは既に午後十時をまわっていたが、それでもテラス席には座ることが出来ず、屋内の片隅のちょっと半端な席に案内された。
ここでは、ビールとその肴にツナのカルパッチョと、スカンピとほうれん草のソテーをオーダーする。 

    和字もあり白夜の宿の宿帳や

   万国旗路地に廻らせ白夜更け

   老夫婦座り続けて百夜かな

   深更の街ほの白く靴の音

   地ビールはそこそこに冷え海の幸


  十一時過ぎ、まだ明るいなかをホテルに戻る。真夏とは言え、予想していた以上に夜風は寒かった。風呂に入って身体を温めたかったがバスタブが無い。止むを得ずシャワーを浴びてベッドにもぐりこんだものの、日本で治りきらなかった風邪がぶり返したらしく、喉が痛く、おまけに熱も出てきた様子。慌てて風邪薬を飲む。
何度も目を覚ましたが、闇が訪れたのは午前二時頃で、午前四時には既に薄明の世界となっていた。
熱に醒め夢うつつなる白夜かな短夜の警笛何処か覚めやらず


   沖合いのリグ煌煌と夏未明

  翌朝は薬が効いたせいか、体調もかなり回復していた。
リーセフィヨルド観光の基点となる町、タウまではフェリーボートを利用することになるが、その出発時間までスタンヴァルグの街をしばらく散策。昨夜は埠頭周辺の旧市街を歩いたので、新市街の方に足を向ける。
港を望む高台にはかつて港を守っていた小さな要塞があり、ここから更に内陸部へ足を運ぶと、小さな湖(ブレイア湖)を囲むようにして町並みがあった。
  街のたたずまいは静謐そのもので、バスも乗用車も結構走ってはいるが、驚くほどゆっくりした速度である。ちょっとでも道路を横断しようとすると、車の方から停車してくれた。

   砲身を夏潮に向け砦跡

   かる鴨の縦列乱す青嵐

   十字架へ額づく女人
(ひと)の素足かな

  リーセ・フィヨルドはスタヴァンゲルの埠頭からも、観光船が出ているが、随一の観光ポイントは峡谷の途中に聳え立つプレーケストーレンと呼ばれる岩壁である。この岩壁は、よくノルウェイの観光ポスターで見かけるが、海抜六百メートルあまりの、ほぼ垂直に切り立った断崖で、最上部は平らな岩場になっており、眼下に延々と伸びているフィヨルドを一望できるところから、そこに至る陸路を目指す人も多い。
行程を記すと、スタヴァンゲルからフェリーで40分かけてタウまで行き、ここから乗合バスと山道を行くマイクロバスに乗り継いで、キャンプサイトでもあるプレーケストーレンロッジに至り、更に約二時間の山を徒歩で登りつめる。
  大してきつい登攀ではないが、歩き始めの基点が、まさに山奥に分け入ったかと思わせるような場所であるにも拘わらず、実は海抜ゼロメートルに近いところにあるので、標高差の六百メートルは自分の足で稼がなくてはならない。
  途中、梯子を伝わって登る岩場があるかと思うと、木道が横切っている小さな湿原もあり、尾根近くになると、氷河跡の窪みが多くの池になっていて、飽きることがない。
  山道はほとんど人影が絶えることが無いほど大勢の人が登っている。その百パーセントが欧米系の人たちであるが、ノルウェイ語らしき言語を話す人たちには道を譲るが、イタリア語やドイツ語や英語を話す人たちには、無意識のうちに競争心を燃やしている自分を発見して驚いた。

  目的地の、プレーケストーレンは正に圧巻であった。アラン島の断崖も迫力があったが、ここはそれ以上である。勿論、遥かにフィヨルドを見下ろすことのできる、テーブル状の岩盤には安全柵のような野暮なものは設けられていない。


プレーケストーレン
と眼下の
グリーセフィヨルド

(画面をクリックすると拡大します)
    夏蝶のなぞらい辿る氷河痕

    残雪は眩しきものよ蝶落つる

    いとおしきものを想いつ夏嶺征く

    木霊にて我に応える森と湖
(うみ)

    山上に冷池を置きて雷遠し

    山上に冷池冷えおる午の刻

    断崖の人様々に氷河風


  久しぶりの山登りに満足して、基点のロッジで休息し、帰りのバスを待ちながらビールとサンドイッチのランチをを摂った。
  給仕に当っているのは、地元の大学生がアルバイトをしている感じがありありと出ている、素朴、純情な若い女性で、好感が持てた。
  食事中に、俄かに空が暗くなったかと思うと、雷鳴が近づき、バケツの水をぶちまけるような土砂降りとなった。目の前の屋根筋に何本も火柱が立つ。三十分も帰りが遅くなっていたら大変な目に遭っていただろう。北国で激しい雷雨に遭遇するなどとは想像もしていなっかったから、雨具など用意してきてはいなかった。

   山育ちらしウエイトレス蝿を追う

   虻沸いて雷雲突如音と成り

   たちまちに雷火走れり氷河跡


翌日は一時間足らずの飛行で、昼過ぎにオスロに着いた。


(これは同人誌[遊山」35号に発表された文章の初めの3分のTを抄録したものです。 編者)

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