鈴木真理のロンドン通信 no.95


       野村萬齋ハムレットロンドン公演 2 新聞劇評から

日本人キャストでは、オフィーリアを演じた中村芝のぶが高い評価を受けていまし
た。「もっとも際立っていたのが、歌舞伎女形である中村芝のぶ演じるオフィーリア
であった。おそらく、私が今までに目にしたオフィーリアの中で最高といえるだろ
う。彼の演じるオフィーリアは、胸が痛くなるほどうら若く、純真で、不安に震え、
自分に降りかかる運命に胸が張り裂けるほど困惑していた。驚嘆に値するプロダク
ション中の輝く演技であった。(メトロ)」「歌舞伎女形である中村芝のぶの華奢な
姿とか細い声は、痛ましいほどのはかなさを醸し出しており、キャストが本当に全員
男性なのかといぶかしく思うほどである。(タイムズ)」「中村芝のぶは、悲しみに
取り乱す演技が素晴らしく、心うつオフィーリアである。この完璧な説得力を持った
悲しみに沈む少女が、実は男性によって演じられているとは、なかなか信じ難い。
(デイリー・テレグラフ)」

またクローディアスを演じた吉田鋼太郎も、「実に冷血なクローディアス(メト
ロ)」「とびきり高圧的で、ひどく恐ろしいクローディアス(デイリー・テレグラ
フ)」と称賛されていました。

ハムレット役の野村萬齋には、厳しい批評が下されていました。
「狂言俳優野村萬齋は、ハムレット役にたいした陰影を与えることはできていない
が、その身体的特徴が、爽やかな存在感を生みだしている(メトロ)」という評はま
だ肯定的ですが、ガーディアンは、「野村萬齋の王子は…復讐に自己陶酔するあま
り、悲哀が感じられない…高ぶった極限の興奮状態でいることがあまりに多い。To
Be or Not to Beの台詞では、ほとんど聞き取れないようなささやき声から、わめき
声の嘆きへと一直線に進んでしまう。どこで怒りに終止符が打たれ、また狂気が始ま
るのか、理解することが難しい。幕切れでは、彼が精神的な啓示を得たという説得力
に欠けている」としています。
デイリー・テレグラフはもっと痛烈で「小さくて痩せた中性的なポップスターみたい
な野村萬齋のハムレットは、劇中で自らが旅芸人に与えるアドバイスを無視し、果て
しもなく激情をきれぎれに爆発させ、慎みを持った演技からはほど遠い。私は今まで
に、このようなうめき声、うなり声、叫び声、がなり声からなる逆上のレパートリー
を耳にしたことはめったにない。『風変わりな性質』なんていう事情はさておき、こ
のハムレットは分けの分からないことを早口でまくし立てる気違いである。だから第
1幕が終わる前にハムレットを精神病院に入れてしまうのが、クローディアスにとっ
て最も理に適った選択肢だと思わずにはいられなくなる。激高したアプローチは、オ
フィーリアやガートルードを相手とした衝撃的で性的色彩を帯びたシーンでは確かに
有効であるが、同じような狂気が、独白にも入り込んでいるのは不条理である。」

このデイリー・テレグラフも最後には、少し肯定的な調子を見せています。
「幸いなことに、野村は最後には少し落ち着きを見せ、ついに死と運命を受け入れる
諦観の場面は、非常に心を動かされる。スリル溢れるクライマックスの剣闘シーンで
の彼はさらに素晴らしく、最盛期のジャッキー・チェンが持っていた武道のエネル
ギーとウイットを彷彿させる。」

シェイクスピア演劇の本場であるロンドンで、しかも俳優なら一度は演じてみたいと
思う大役のハムレットを演じることは、厳しい批評にさらされることを意味します。
敢えてそれに挑んだ野村萬齋の勇気とエネルギーに、私は心から拍手を送りたいと思
います。

03・9・9