鈴木真理のロンドン通信no.94



                    野村萬齋ハムレッのロンドン公演 1 新聞劇評から

狂言役者・野村萬齋はじめ、出演者は日本人男性ばかりというハムレットの公演が、
8月28日から9月6日にかけて、ロンドンのサドラーズウエルズ劇場でおこなわれまし
た。演出は英国のジョナサン・ケント、舞台装置デザインはポール・ブラウン、照
明、音楽も英国側が担当した、日英の共同製作プロダクションです。9月1日には、ロ
ンドンの各新聞が一斉に、このハムレットの劇評を掲載しました。

私の手元には、英国の高級紙である、ガーディアン、タイムズ、デイリー・テレグラ
フと、地下鉄の駅で無料配布される日刊紙メトロの劇評があります。どれも平均以上
の評価で、絶賛とはいかないものの、見るに値する公演という評価を下していまし
た。ただこれは専門家の見方であり、一般の英国人が大勢これを見にやってきたかと
いうと、答えは「NO」です。

「これが苦労なしに楽しめる劇だと嘘をついてみても、何の意味もない。サドラーズ
ウエルズ劇場のたくさんの空席が、そのことを痛烈に証明している。(デイリー・テ
レグラフ)」とあるように、一般の反応は今ひとつでした。私は劇評がでた翌日(9
月2日)に観劇しましたが、やはり半分ぐらい空席があり、観客はほとんどが日本人
でした。

「ハムレットは、条件のよいときに見たとしても、忍耐と集中力の必要な作品であ
る。それなのに、キャストは全員男性、しかも日本語で上演されるとなると、手ごわ
さは並大抵ではない。3時間を超える劇の後、私はよろめくようにして劇場をあとに
した。刺激を受けたのか、ただ単に疲れ切っただけなのか、自分でもわからなかっ
た。(デイリー・テレグラフ)」「このハムレットは、すべて日本語で上演される
(首が痛くなるような角度で、舞台の両側に英語字幕がでる)。ノーカットで3時間
半、これは俳優にとっても観客にとっても、大変なチャレンジといえる。(メト
ロ)」

「(日本語上演によって)失われた最大のものは、詩的リズムである……西欧人の耳
には、日本語の音は美しさを欠いているように聞こえる(デイリー・テレグラフ)」
「西欧人の耳には、日本語は叙情性の余地がほとんどないかのように聞こえ、(日本
語の)断音的なリズムによって、あらゆる台詞に切迫感があるような印象を受けてし
まう(ガーディアン)」という指摘がある一方、「英国人の観客にとって、シェイク
スピアの上演は詰まるところ、彼の言葉をどのように舞台化するかが最大の焦点に
なっている。しかしケント(この作品の演出家)は、それがいかに間違った見方であ
るかを証明してくれた。確かに耳慣れた素晴らしい台詞を聞くことはできないが、使
い古された詩的リズムに完全に絡み捕らわれてしまうのでなく、何か解放された感覚
が存在するのである。(ガーディアン)」と、日本語上演に肯定的な意義を見いだそ
うとする評もありました。

どの評も共通して、演出のケントと、舞台デザインのブラウンを称賛していました。
特にブラウンの手による回転する大きな木箱、そしてそれが開いてエルシノア城内の
各場面に展開していく様子は、この劇を視覚的に楽しめるものにした大きな要素と
なっているようです。メトロ劇評のタイトルがRoyal box of delights、ガーディア
ン劇評のタイトルがA Hamlet designed as mush as directedとなっているのも、こ
れを物語っています。

03・9・9