鈴木真理のロンドン通信 No.93

J・F・ケネディー
    アーノルド・シュワルツェネッガー
 
私たちのボストン滞在中、映画俳優であるアーノルド・シュワルツェネッガー氏がカリフォルニア州知事選挙への出馬を表明し、テレビや新聞で大きなニュースとなりました。シュワルツェネッガー氏とボストンには少なからぬ縁があります。
 
彼の妻であるマリア・シュライバーさんは、暗殺されたJ・F・ケネディー大統領の姪にあたります。ボストン出身のJ・F・ケネディーは1960年、アイルランド人を祖先とするカトリック信者として初めて大統領に選出されました。大統領就任の最年少記録をつくったことでも有名です。ケネディー家は曾祖父の代に、アイルランドからボストンへ渡ってきました。J・F・ケネディーはボストン出身の悲劇の大統領として今でも人気があり、みやげ物屋には彼の写真入りポストカードがたくさん並んでいます。
 
しかし母国アイルランドの飢饉で多くの人々が米国に渡った19世紀半ば、アイルランド系移民は英国系移民と同等の権利が認められず、偏見や差別と戦わなければなりませんでした。
 
ボストン観光ハイライトのひとつに、The Freedom Trail(自由の足跡を訪ねるルート)があります。ボストン・コモンをスタート地点として、米国独立戦争に縁のある建物を徒歩で見学する全長4キロのコースです。ビジターセンターで無料の地図と案内書を手に入れ、路上の表示を辿っていくと、米国独立の歴史がひとりでに学べるようになっています。
 
Freedom Trailほど有名ではありませんが、Black Heritage Trail(アフリカ系米国人の足跡を訪ねルート)というものもあります。こちらは路上表示もなく、該当する建物のほとんどが現在は別の用途に使われているので、ひとりでまわることは困難です。夏の間だけパークレンジャー(国立公園の管理隊員)が無料のガイドツアーを実施してくれます。
 
このガイドツアーに参加すると、米国独立宣言には「人はみな平等に造られている」と謳われているのに、それが平等の権利として保障されるには長い道のりがあったことを思い知らされます。中でも興味深かったのは教育問題です。19世紀中頃には、ボストン市民で他の住民と同じように税金を納めていても、アフリカ系およびアイルランド系の人々は子供を公立の学校に通わせることができませんでした。アイルランド系の人々に対しては「白人の皮膚をしているが、一皮むけばその下は黒人と同じ」という偏見がまことしやかに流布していたそうです。子どもたちの教育の重要性を認識していたアフリカ系住民は独自に学校を開設して子どもたちに教育を施しましたが、その学校にアイルランド系の子どもたちも受け入れたそうです。
 
このような状況にも負けず、アイルランド系の人々は地域社会での地位を次第に向上させ、政界にも進出していきます。J・F・ケネディーの祖父は1905年、ボストン市長に選出されました。
 
アーノルド・シュワルツェネッガー氏はオーストリアの出身、家庭は裕福でなかったけれど、米国に渡って経済的に成功し、今政界入りを目指しています。彼の姿はボストンに渡ってきたアイルランド移民の姿と重なります。そして選挙の応援に立つ妻がケネディー家の出身となれば、米国の移民の歴史を象徴しているようにも思われます。10月7日の現職知事リコール住民投票と後任知事の選挙が注目されます。

(写真 :米国独立以前に英国の植民地政府が置かれていたOld State House)
03・08・29