鈴木真理のロンドン通信No.92


                  ボストン・コモンのシェイクスピア
 
夏休み、娘と2週間の米国東海岸旅行に出かけました。ロンドンのアメリカンスクールで学ぶ娘にとって米国史は必修ですが、米国に住んでいた時はまだ赤ちゃんであったため、全く記憶にありません。そこで米国史の導入になるようにと、今回の旅を計画しました。
 
清教徒がメイフラワー号でたどり着いたニューイングランド地方の中心都市ボストンを起点に、ニューヨーク、フィラデルフィア、首都ワシントン、その合間にニューヨーク州北西部に住む娘の友人家族も訪ねるという、実に欲張りなものです。
 
ボストンは、英国支配から脱する独立戦争の引き金となったボストン茶会事件の舞台です。ボストン湾とチャールズ川に囲まれた美しい街は、どことなく落ち着きが感じられます。チャールズ川の対岸には米国最古の大学であるハーバード大学や、MITなどの教育キ研究施設があり、街中にも大小のカレッジが点在しているからでしょう。この街の中心に、ボストン・コモンという広い公園があります。
 
ここにはビジターセンターがあり、ボストン観光の出発点となっています。ボストン市民にとっても憩いの場であると共に、様々な野外イベントの会場となっています。ここで毎年夏に、the Commonwealth Shakespeare Companyというプロの劇団がシェイクスピア劇を野外で、しかも無料で上演します。今年の出し物は「マクベス」。7月半ばから8月上旬までに21回の公演が行われ、7万人近い人々がシェイクスピア劇を楽しみました。
 
劇の開演は夕闇の迫る午後8時。私と娘も、ボストン・コモンに出かけてみました。公園の一角に舞台が設置されています。心地よい夏の夕べ、観客は芝生に座って食べたり飲んだりしながら、開演を待っています。そのあいだに、無料の「鑑賞の手引き」と「プログラム」が配布されます。
 
「鑑賞の手引き」には、あらすじ、登場人物紹介、時代背景、見どころ、難しい言葉の解説などが簡潔にまとめられていて、シェイクスピア劇を初めて見る人も楽しめるような工夫がされています。
手引きの中の『劇を見た後で』という項目には、次のように記されています。
 
「シェイクスピアの作品は時代を超越したものです。マクベスのテーマを反映していると考えられる地域の状態、国内状況、あるいは国際情勢を、何か思いつきませんか。マクベスは人を殺し欺きますが、観客は彼の心情に理解を示す場合が多いようです。あなたはマクベスのことをとんでもない下劣なやつだと思いますか。それともそこまで否定的には考えないでしょうか。観客が彼のことを『見捨て』てしまわないのはどうしてでしょうか。」
 
「プログラム」を読むと、シェイクスピア劇の無料公演がどのような団体によって支えられているかがわかります。特に重要な役割を果たしているのが、The Wang Center for the Performing Arts, Inc.という、非営利の芸術振興団体です。公演芸術の鑑賞は、健全な地域社会の形成に欠かせないという観点に立ち、芸術鑑賞の意欲と能力を刺激し高めていくことをその使命としています。この他に、多数の企業や個人がこの企画をサポートしています。
 
ボストン・コモンを管理しているボストン市もこの野外公演を支援しており、プログラムにはボストン市長のメッセージが載せられています。
 
「……私は、ボストンの心臓部とも言えるこの場所でマクベスの野外無料公演をなさるキャストの方々に、あらゆる年齢層にわたり、様々な生育環境を持つ市民の皆さん、観光客の皆さんと共に、心よりの歓迎を申し上げます。ウイリアム・シェイクスピアの作品は、人類が築いてきた文化の歴史において、欠くことのできないものとなっています。それゆえ、ボストンで最も歴史ある公園において、現代を生きる観客に向けて彼の作品が上演されることは、まことに当を得たものといえるでしょう。……」
 
シェイクスピアがボストンにもしっかり根付いていることを確認した夕べでした。

03・06・28
鈴木真理のロンドン通信