鈴木真理のロンドン通信 No.91

         ロンドンの夏の夜の夢
 
小説で有名な、探偵シャーロック・ホームズが住んでいたベイカー・ストリート221番Bから少し歩くと、リージェンツ・パークと呼ばれる大きな公園にたどり着きます。この公園には運河が巡らされ、ロンドン動物園、スポーツ施設、ボート遊びのできる池、バラ園などがあり、市民の憩いの場となっています。
 
この一角に、毎年夏だけオープンする野外劇場があります。「THE OPEN AIR THEATRE」 という公園内の表示を辿っていくと、芝生の公園のなかに小さな森が現れます。この森に一歩足を踏み入れると、そこはもう夢の世界です。
 
劇の開演は夜の8時。その1時間以上前から、人々はこの森に集まってきます。大きな木の下でピクニックをするためです。日本のように、手間暇かけたお弁当を持参する必要はありません。パンとチーズとワインがあれば、立派なピクニックです。季節のフルーツやパテ、スモークサーモンなどが加われば、雰囲気はぐっと豪華になります。
 
途中で買い物できなかった人も心配はいりません。バーベキュー網の上でジュージュー音を立てるソーセージやお肉、色とりどりのサラダ、サンドイッチやケーキなどを揃えたフードスタンドが、お客さんを待っています。特設のバーでは、様々な飲み物が用意されています。
 
こうして人々は夏の爽やかな夕べ、戸外での食事をゆっくり楽しみます。舞台の方からは音楽が流れてきて、開演前の楽しい雰囲気を盛り上げてくれます。
 
いよいよお待ちかねの劇が始まります。舞台は木立を背にして、地面に近いところに設置されています。客席は舞台からせり上がるように、つまりすり鉢の底に舞台、側面に観客が並んでいるように配置されています。この構造は古代ギリシャの野外劇場と同じで、これによって屋外でもマイクを使用しないで声が反響するようになっているのです。
 
今夜の演目はシェイクスピアの『夏の夜の夢』。この劇場の一番人気の演目で、毎年演出を変えながら上演されています。アテネ郊外の森にやってきた結婚前の若い男女4人が、妖精の惚れ薬のせいで大騒ぎを繰り広げるのがこの劇の一番の見所です。
 
シェイクスピアはこの作品を、ある貴族の娘の結婚祝いで上演するために書いたと言われています。この娘の名付け親がエリザベス1世だったそうです。今回私は、「結婚」をキーワードにこの劇を見ることにしたのですが、今まで気づかなかった面白さを発見することになりました。
 
まず妖精界の王と女王のカップルが、凄まじい夫婦喧嘩を繰り広げます。そのせいで自然界の調和まで乱されるような激しさです。「結婚」のお祝いの席で夫婦喧嘩の話題なんて、日本ならタブーだと思うのですが…。次に人間界では3組のカップルが結婚することになりますが、どれも「理想の結婚」とはほど遠い感じです。1組目はアテネの大公とアマゾンの女王の征服結婚。征服された側の女王は、結婚を前にちっともうれしそうではありません。2組目、本人同士は相思相愛ですが、花嫁の父は大反対。3組目は女性のほうが結婚に積極的。男性は妖精の惚れ薬のせいで結婚することになったものの、薬の効き目がなくなったらとても心配なカップルです。
 
仲直りした妖精界の王夫妻が、結婚式を挙げた3組の新床を祝福するところでお話は終わります。「『結婚』に最初から完璧なものなんてない。これがスタートで、そのあと大喧嘩も起こるだろうけれど、相手と一生懸命向き合いながら築きあげていくものだよ。」とシェイクスピアがささやいているような気がしました。
 
シェイクスピアの結婚も今で言う「できちゃった結婚」であり、そのあと長い「単身赴任生活」があったようです。残念ながら、奥さんとどのような関係を築いたのか詳しいことはわかっていません。
 
ロンドンの長い夏の日も、劇の終わるころにはとっぷり暮れ、闇が迫っていました。バーの周りには明かりが灯り、劇の余韻を楽しみたい人々を誘っています。家路につく人々は皆、夏の夜に夢のようなひとときを過ごし、満足そうな表情を浮かべていました。

03・7・22