鈴木真理のロンドン通信
  
 
さよなら ポール 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
さよなら ポール

No.89                                                        さよなら ポール 
 
6月のある晴れた朝、ポールはバイクで職場に向かう途中、暴走してきた車にはねられ帰らぬ人となりました。51才でした。
 
私がポールと奥さんのフランシーヌに出会ったのは、地元のテニスクラブでした。
 
3年前、夫がロンドンに2度目の駐在となり、家の近くにテニスクラブを見つけて家族でメンバーになりました。入会してほどなく、年1回のメインイベントであるDIVORCE HANDICAP TOURNAMENTが開催されました。これはミックスダブルス(男女でペアを組む)の大会ですが、どんなレベルの人も楽しくできるよう、実力に合わせてハンディが与えられます。夫婦で参加する人が多いので「思わずDIVORCE(離婚)を考えるほど真剣になってしまうテニスの試合」という意味でこんな名前が付いています。もちろんこれは英国流のブラックジョークです。実際は休日の朝から夕方まで、皆で楽しくテニスをしようという企画です。ランチとアフタヌーン・ティーもちゃんと用意されています。
 
ランチをすませてくつろいでいるとき、夫と私のところにポールとフランシーヌがやってきました。
「新しくメンバーになられたのですね。私たちも会員になってまだ3年ですが、とてもいいクラブですよ。一緒に楽しくやりましょう。」と声をかけてくれました。彼の優しい笑顔に、入会したばかりで緊張気味だった私たちはどれだけホットしたことでしょう。
 
奥さんのフランシーヌはベルギー人ですが、英語を勉強するためにロンドンに来てポールと出会い、結婚してからはずっと英国暮らしです。そんな彼女とは、外国に暮らす苦労や子供に母国語を教える大変さを話し合う仲となりました。
 
ポールとは、クラブ対抗の試合にミックスダブルスを組んで何度も出場しました。この試合は出場資格がベテラン(男性45歳以上、女性40歳以上)に限られているので、夫は出場できなかったからです。ポールはいつもにこやかでパートナーをリラックスさせてくれるので、私たちはほとんど負けたことがなかったと思います。
 
テニスクラブのクリスマスパーティーは、毎年DJつきのディスコが恒例となっています。ポールは踊りも大好きでした。その理由はすぐに判明しました。フランシーヌと出会ったのがディスコだったからです。当時彼は歯科医になるための勉強をしている学生でした。男性の友人数人とディスコに出かけたそうです。フランシーヌは語学学校に通学中で、「生きた英語を勉強するように」という趣旨で学校からディスコの無料招待券をもらい、こちらも友人と連れだって出かけたそうです。そこで運命の出会い。彼はすぐに彼女をデートに誘ったそうですが、フランシーヌは「すぐにOKするといい加減な女の子だと思われるから、最初は断ったのよ」。でも二人はめでたくゴールイン。息子と娘に恵まれ、幸せな家庭を築いていました。
 
ポールがテニスクラブの会員だったのはわずか6年でしたが、彼は既にクラブにとってかけがえのない人となっていました。彼の事故死の第一報は、クラブの電子メール網で会員に届けられました。それ以降も、フランシーヌの様子、お葬式の詳細などが電子メールで伝えられました。お葬式の当日は、クラブハウスを閉じ、テニスコートも一切使用せず、クラブ全体で弔意を表しました。キリスト教の教会で行われたお葬式は、平日の昼間であったにもかかわらず、男女を問わず多くのメンバーが参列しました。
 
フランシーヌの願いは、お葬式を悲しみの場ではなく、ポールの人生を感謝する場にすることでした。そのため、黒い服はできるだけ着てこないでほしいという希望が伝えられました。「彼女と娘さんはベージュの服を着るので、皆さんもそれに合わせた服装を」とクラブから連絡があったので、私もそれに従いました。またお花を送りたい人があれば、そのかわりにポールが積極的に関わっていたチャリティー団体に寄付をしてほしいという申し出がありました。
 
ポールが関わっていたチャリティー団体はSAO Cambodiaというキリスト教関係の団体で、カンボジアの人々にキリスト教を伝え、貧困から抜け出す手助けをしようと活動しています。ポールもカンボジアまで出かけ、歯科医の技術を生かして、歯科衛生士の養成に携わったそうです。
 
ポールの死の第1報を受け取ったときは、信じられない、間違いであってほしいという気持ちでしたが、お葬式に参列して、彼の死を現実として受け入れざるを得ませんでした。他人の私でさえこんなに悲しいのに、フランシーヌや家族の皆さんはどんなに辛い思いをされているかと思うと、胸が痛みます。
 
「さよなら ポール」とは言ってみたものの、この悲しみが思い出に変わるには、まだまだ時間がかかりそうです。

03・07・04