No.78
                  CABINET WAR ROOMS
 
ロンドンではアーモンドチェリーの花が満開となり、クロッカスや、早咲きのスイセンが咲き始めました。待ちかねた春の訪れなのに、今年はそれを心穏やかに楽しむ雰囲気ではなく、国内に緊張した空気が漂っています。
 
イラク攻撃開始の準備が着々と進められる一方、テロリストの脅威とそれへの警戒が叫ばれているからです。危機管理のコンサルタントは、テロ攻撃に備えて3日分の食料と水を備蓄するよう英国居住者に勧めています。
 
そんななか、先日CABINET WAR ROOMSを訪ねてみました。バッキンガム宮殿と、首相官邸のある官庁街の間には、セント・ジェイムズ・パークという美しい公園が広がっています。公園の中央には東西に伸びる大きな池が配されていますが、その東側部分には、ペリカンや鴨がのんびりとひなたぼっこを楽しむ小島があります。CABINET WAR ROOMSの入り口は、その小島と目と鼻の先です。
 
第2次世界大戦下の英国は、独軍の空襲にさらされていました。首相官邸もいつ攻撃されるかわかりません。そこで首相以下内閣のメンバーは、政府のオフィスであった建物の地下にその機能を移動させ、そこから戦争の指揮をとりました。
 
狭い入り口から地下に下りると、もともとは倉庫として使用されていた、天井の梁や柱がむき出しになったスペースにたどり着きます。ここがいくつもの部屋に仕切られ、チャーチル首相以下数多くの人々が、国家の存亡に関わる重要な任務を果たしていました。現在は、実際にCABINET WAR ROOMSとして使用されていたスペースの3分の1ほどが一般公開されています。当時そのままに保存された部屋を目の当たりにし、歴史資料に基づいて再現された当時の会話や回想をオーディオガイドで聞くことができるので、その頃の雰囲気がよく伝わってきます。
 
既にフランスが独軍の手に落ち、英国への空襲が激しさを極めていた1940年、人々は皆、独軍の侵攻を覚悟していたようです。それが明日なのか、1週間後なのかという不安と緊張感の中で、CABINET WAR ROOMSで働く人々は毎日を過ごしていました。
 
首相と閣僚が長時間に渡って激論を戦わせた閣議室、首相が国民に向かって徹底抗戦を呼びかけるラジオ放送を録音した部屋、英国首相と米国大統領の間に初めて設置されたホットラインのある部屋、作戦や決定事項を文書にするため、女性タイピストが働く部屋、世界各地の軍事行動を分析して地図に表示する部屋などがならんでいます。

特に地図の部屋は、情報を分析して戦略を立てるための重要な役割を果たしており、CABINET WAR ROOMSの心臓部とも言える部分です。壁一面に地図が張られ、各国の軍隊の動きが、色分けされたピンで表示されていました。日本の大きな地図が張られている一角もありました。この部屋は24時間体制で情報収集の作業が続けられていたため、戦争中明かりの消えることがありませんでした。この部屋で任務に当たっていた将校は、日本が降伏したVJ Day(対日戦勝記念日)に初めて、明かりを消して家路につくことができたといいます。
 
それ以来、このCABINET WAR ROOMSが使用されることはありませんでした。しかし今ではきっと、テロ攻撃やハイテク戦争に備えて、どこかに新しいCABINET WAR ROOMSが用意されていることでしょう。それを実際に使用するような事態にいたらないよう、願わずにはいられません。

03・03・10