さようならクイーン・マザー

3月の終わり頃からロンドンでは珍しく良いお天気が続き、春の草花が美しく咲き誇っています。我が家の庭にも、ポリアンサス、ヒヤシンス、チューリップ、パンジーなどが咲き、リンゴの花のつぼみもふくらんできました。芝刈り機の音があちこちの庭からひびきはじめると、本格的な春の到来です。今年は例年より暖かいので、芝の生育も早いようです。

今年のイースター(復活祭)は3月31日でしたが、その前日、クイーン・マザーが101歳で静かに息を引き取りました。

翌週の金曜(4月5日)、彼女の棺はセントジェイムズ宮殿にあるクイーンズ・チャペルから、ウエストミンスターホールへと砲架車に乗せて運ばれましたが、春の日射しの中、1600名の兵隊および王室メンバーが棺に付き添い、1キロ足らずの道のりを厳粛に行進しました。

ウエストミンスターホールは月曜まで一般に公開され、クイーン・マザーと最後のお別れができるようになっています。そして来週火曜に、改めて葬儀が執り行われます。

1900年に生まれ、2度の世界大戦を含む激動の世紀を生きたクイーン・マザーは、国民の敬愛を集めてきました。特に第1次世界大戦で兄弟を失い、第2次世界大戦ではカナダへの疎開を進言されたにもかかわらず、独軍の空襲にさらされたロンドンにとどまったということで、戦争を経験した世代には特別な存在であったようです。毎年の英霊記念日にも、彼女はなくてはならない存在でした。

彼女が国民の求心力であったこと、素晴らしい101歳の生涯であったことは誰もが認めるところです。しかしクイーン・マザー逝去に対するメディアの取り扱い方や葬儀については、さまざまな意見があるようです。

クイーン・マザーの死は、1997年のダイアナ元妃の事故死と異なり、近未来に予想される事であったため、テレビ各局は追悼番組を周到に準備していました。死去の報道直後から、各局は通常番組を変更して追悼番組を放送しました。

しかし局によってその取り扱い方は少しずつ異なっていました。例えばBBCはあらかじめ逝去報道時のドレスコード(アナウンサーが喪服を着用するのは女王逝去報道の時のみ)を定めていました。BBCのアナウンサーはこれに従い、逝去報道ではブラックタイを着用しませんでした。これに対し、民放であるITN、チャンネル5、スカイのアナウンサーは喪服着用でした。またBBCがクイーン・マザー追悼に費やした放送時間も、他局よりは少な目だったようです。

この対応が王室側を失望させました。「BBCの報道はクイーン・マザーの死という歴史的イベントに対し十分敬意を表したものとはいえない」と感じたチャールズ皇太子は、女王と協議のうえ、抗議の意味を込めてBBCではなく民放のITNから自身の追悼コメントを発表しました。

一般の視聴者の反応はどうだったでしょうか。当日BBCには番組変更に対する苦情が約700件寄せられたものの、追悼報道が短すぎると言う苦情は100件足らずだったそうです。

私の友人たちはこういいます。

「確かに彼女は英国のために大きな功績があったし、素晴らしい人生だったと認めるわ。でも101歳で亡くなった人に何時間もかけて追悼番組を放送したり、1週間以上かけて盛大なお葬式をする必要があるのかしら。葬送行進だって2回もやらなくていいでしょ。あの費用だって私たちが払ってるのよ。それに彼女の生活は最後まで、19世紀の王侯貴族のように贅沢で華やかだったのよ。それも私たちが払っていたんだから。」

そういいながらも彼女たちは、「これって本当に英国らしいわよね」といいながらテレビの葬送行進中継をしっかり見ています。一番盛り上がったのはモーニング姿のウイリアム王子(チャールズ皇太子の長男)がアップになったとき。「彼ってゴージャスよね。」というのがみんなの感想。

それぞれの胸にそれぞれの思いがあるものの、英国の一つの歴史が幕を閉じ、新しい時代が始まろうとしているのは確かなようです。

(02・04・08)