英国人にとってのハムレット

シェイクスピア作品の中で最もよく知られている人物といえば、To be or not to beというせりふで有名なハムレットではないでしょうか。ハムレットはまた、繰り返し上演される人気作品でもあります。

俳優たちにとってもハムレットは、一生に一度は演じてみたい憧れの役です。そこで色々なハムレットが登場するわけですが、英国の人々にはそれぞれ、自分なりのハムレット像があるようです。 地域の演劇鑑賞勉強会で知り合った60代以上の方々は、みんな口を揃えてこういいます。

「私たちの世代にとってハムレットといえば、ローレンス・オリビエですよ。最近ブラナーとかいう若い役者がハムレットの映画をつくったというけれど、あんまり見る気はしないね。オリビエの映画が完璧だったから、あれをしのぐものはでないと思うよ。」

ローレンス・オリビエの名は前回のロンドン通信に登場していますが、彼の主演したハムレットの映画公開は1948年のこと。私の生まれるはるか前のことであり、自分にとってはまさに伝説の映画です。オリビエの名は一般の日本人には馴染みがないかも知れませんが、あの名画『風と共に去りぬ』でスカーレット・オハラを演じたビビアン・リーが、一時彼の妻でした(後に離婚)。

さてこの伝説のハムレットを、先週名画劇場で見る機会がありました。オリビエは憂いを込めたまなざしで、悩める王子ハムレットをあくまでも気高く演じていました。演出も彼が担当していますが、シェイクスピアの大作を155分に収めるため、原作に大胆なカットが施されていました。デンマークを政治的に脅かすフォーティンブラスは登場せず、ハムレットの学友、ローゼンクランツとギルデスターンもまったく登場しません。どの場面も、原作にある人物を省略したり、せりふを短くしたりして、オリビエの追求するハムレット像 ―決断ができなかった男の悲劇― を明確に打ち出そうとしていました。この中で、母親に対する愛情が非常に細やかに描かれていたのが印象的でした。

これと対照的なのが、現在ロンドンで公演中の、ロイヤル・シェイクスピアカンパニー(RSC)によるハムレットです。スティーブン・ピムロットが演出を担当したこの舞台は、上演時間ほぼ4時間という長丁場。登場人物の省略はほとんどなく、シェイクスピアの原作を丁寧に舞台化しているという印象を受けました。

ただし、舞台設定は超モダンです。新国王クローディアス登場の場面は、大企業のトップ交代を思わせます。ハムレットを除く全員がビジネススーツ姿で登場、胸には身分証を兼ねたネームタグをつけています。クローディアスの就任スピーチは満場の拍手で迎えられますが、この拍手の音はなぜか空虚にひびき、変わり身の早い権力者の取り巻き陣を象徴的に表現しているように思われました。劇の最後の場面、ハムレットに殺害されたクローディアスからフォーティンブラスへと、もう一つのトップ交代が行われますが、その場面でも最初と同じ空虚な拍手が響き渡っていました。

舞台装置といえるものはほとんどなく、衣装も現代の日常着と変わらないため、観客にとっては、非日常の劇の世界にはいっていくのが難しいプロダクションであったと思います。劇評でも、演出についてはあまり好意的にとりあげられていませんでした。

しかしこの舞台を魅力的にしているのは、なんといっても主演のサミュエル・ウエストです。彼は黒のレザージャケットで舞台に登場します。英国で現在最も期待され、人気と実力のある若手俳優の一人です。両親とも有名な舞台俳優という恵まれた環境で育ち、オックスフォード大学で英文学を修めた秀才でもあります。

私はストラットフォードの劇場でティーンエージャーの女の子3人がこんな会話をしているのを耳にしたことがあります。

「あなたサム・ウエストのハムレット、ナマで見たんでしょ。」

「いいなー。いいなー。どんなだったの?かっこよかった?」

「もうとってもステキだったわ…・ことばにできないくらい!!!」

と夢見る表情の彼女。

今回のハムレットはプロダクションとしてはちょっと物足りないものでしたが、サミュエル・ウエストは近いうちにまた、別の演出でハムレット役に挑戦するだろうと劇評家達は予想しています。また新しいハムレットの伝説が誕生することになるでしょう。

02・02・12