人生を豊かにする教育
ロンドンのお正月は、クリスマスと比べるとあっけなく終わってしまいます。ニューイヤーズイブにトラファルガー広場に人が集まって新年のカウントダウンをするのと、元旦にパレードがあるくらいです。翌日からは、ほぼ平常通りの生活が戻ってきます。そこでこの1月2日、私は娘と一緒にトラファルガー広場にあるナショナルギャラリーに出掛けました。
ナショナルギャラリーは、1250年から1900年までのヨーロッパ絵画2,300点を有する世界屈指の美術館です。ナショナルの名の通り、この美術館の所蔵品は国民の財産であるというポリシーのもと、入場料は無料、元旦とクリスマス休みの12月24―26日を除いて、毎日オープンしています。今までにも何度かここを訪れていますが、今回は娘のためで、歴史の宿題の資料収集が目的です。
ハイスクールのフレッシュマン(1年生)である娘は、必修科目である歴史の授業で、「世界の主要な宗教」について学んでいます。この学年では、歴史の年間授業時数のうち、ほぼ3分の2が宗教の学習にあてられています。日本で教科書を中心にして広く浅い知識を身につけてきた私にとって、娘の学校での勉強の仕方は、大変ユニークに思えます。9月から、ヒンドゥー教、仏教、ユダヤ教、キリスト教と学んできましたが、それぞれかなり深く勉強します。仏教について学んだときは、「悟り」について娘と一緒に悩みました。説明の英語がかなり哲学的で難しいのです。「やっぱりわからない。」とイライラする娘に、「お釈迦様でもこれが分かるのに何年も修業したんだから、私たちに簡単に分かるようじゃあ、そっちの方がおかしいよ。」とへんな慰め方をしたものです。哲学的な探求と同時に、実践的な探求も行います。ヒンドゥー教の寺院に見学に行き(この時は寺院の神聖な空気を乱さないよう、服装について細かい注意がありました)、ヒンドゥー教の祭礼で食べる菓子類を試食しました。仏教の時は「釈迦の教えを守る3日間」にトライしました。「怒らない」「菜食主義」などの遵守が目標でしたが、娘を怒らせないよう、夕食の食卓に肉や魚がのぼらないよう、こちらも気を使いました。そして現在学習中なのがキリスト教。前述の歴史の宿題とは、キリストの生涯を受胎告知、誕生、十字架、復活などのテーマに分け、クラス内で担当を割り当て、各生徒が自分のテーマに関連する美術作品を2点探し出して、相互に比較を行うというものです。
娘の担当は「ピエタ(キリストの死体を抱いて嘆く聖母)」。ピエタといえばミケランジェロの彫像が有名ですが、そのためにイタリアまで行く時間はありません。美術館のカタログやインターネット上の画像を使って簡単に宿題を済ませることもできますが、私としてはせっかくロンドンにいるのだから、娘に本物を見てほしいという気持ちがありました。ナショナルギャラリーには宗教画がたくさんあったのを思い出し、1月2日の美術館探訪となったわけです。
美術館に行き、キリスト教が西欧文明に与えてきた影響の大きさを改めて感じました。同館所蔵作品の約3分の1が、キリスト教に関連しているそうです。ピエタ発見を最優先して館内を駆け足でまわり、4枚のピエタに巡り会うことができました。同じテーマでありながら、その描き方や人物の配し方は様々に異なり、描かれた当時の社会や信仰のあり方までうかがわれて、非常に興味深く思いました。娘も「本物を見られて良かった。絵の大きさなんて実際に見ないとわからないし。」と満足した様子でした。娘はこの中から2点を選び、自分なりの比較論をまとめてクラスで発表します。同時にクラスメートの発表も聞いて、キリスト教と西欧美術への理解をさらに深めることになると思います。この経験は、これから彼女が宗教に関連した美術作品に巡り会うたびに甦り、彼女の人生を豊かにしてくれることでしょう。
歴史に関連する美術作品と言えば、資料集の中の小さな写真ぐらいしか見ることのなかった自分の高校生時代を思い出し、娘をうらやましく思う私です。
ちなみにナショナルギャラリーに隣接して、ナショナルポートレートギャラリーがあります。こちらも入場無料で、英国史に重要な足跡を残した有名人物の肖像画が公開されています。耳にピアスを付けたシェイクスピアの肖像画も、ここにあります。
02・01・09