寒空の花火と赤いケシの花

花火といえば日本では夏の風物詩ですが、英国では寒空の中、11月5日前後に盛んに打ち上げられます。この由来は、今から約400年前に遡ります。エリザベス1世の死後英国の王位についたジェイムス1世は、旧教徒を厳しく弾圧しました。そのためこれに不満をつのらせた旧教徒の一団が、国王暗殺を画策します。国王が議会開催初日に出席するのを狙い、国会議事堂もろとも爆破する計画だったのですが、この暗殺計画が事前に当局の知るところとなります。主犯格のガイ・フォークスはじめ一味は、火薬を詰めた樽と共に国会議事堂の地下に潜んでいるところを発見され、その場で逮捕されました。1605年11月5日のことでした。

この事件後、今風に言うと「テロリストに対する勝利」を記念して、ガイ・フォークス人形を作って焼き捨てる行事が伝統となります。そして次第に、かがり火(ボン・ファイヤー)をたいたり花火を打ち上げる楽しい行事となり、現在に伝わっています。「クマのパディントン」のお話にも、Remember, remember, the 5th of November.と唱えながら、家々をまわって花火代の寄付集めをする子どもたちが登場します。今は子どもたちによる寄付集めはなくなりましたが、各地の公園などで花火の打ち上げが行われます。日本のような大がかりな仕掛け花火はありませんが、ロンドン郊外では大きな庭のある家が多いので、自宅の庭で花火を打ち上げる人もたくさんいます。それに加え、ヒンズー教のお祭りであるDiwali (The Festival of Light)も毎年同じ時期にあるので、インド人の家庭も花火を楽しみます。そんなわけで、この時期2−3週間は、毎晩のように打ち上げ花火の音が聞こえてきます。

11月にはもう一つ、Rememberしなければならない大切な日があります。毎年11月11日に一番近い日曜と定められているRemembrance Sundayです。この日は1918年11月11日の対独休戦協定成立(第一次世界大戦の終了)を記念して、第一次、第二次世界大戦の戦死者の霊を慰める儀式が行われます。日本で行われる赤い羽根の募金のように、英国の人々は募金に協力し、造花の赤いケシを胸に付けます。この花は退役軍人たちによって作られ、募金は英国在郷軍人会の収入源となっています。

赤いケシの花は、戦争で亡くなった英兵士を象徴しています。第一次世界大戦は現在のハイテク戦争と違って、敵と直接対峙しなければなりませんでした。ベルギー、オランダ、フランスにまたがるフランダース地方の前線で、英兵士は塹壕に潜み、独軍と接近戦を展開。数十万人の犠牲者を出しました。終戦の翌年、数多くの若者の血が流された大地から、何事もなかったかのようにケシが再び芽を出し、辺り一面に赤い花を咲かせたそうです。それ以来、赤いケシの花は戦没者のしるしとなっています。

Remembrance Sundayには、ロンドンで退役軍人と現役の軍隊によるパレードがあり、エリザベス女王やブレア首相などが出席して戦没者記念碑に赤いケシの花輪を供える式典が行われますが、それ以外にもこの日を中心として、各地でいろいろな式典が行われます。私は数年前テレビで見た、ある追悼式典の1シーンが忘れられません。確かRemembrance Sunday前日のことだったと思います。会場はRoyal Albert Hall。第一次、第二次世界大戦の激戦の様子を映像で振り返り、戦没者の勇気をたたえ、フランダース地方にある無数の兵士の墓標、風に揺れる赤いケシの花がスクリーンに映し出されます。それだけでも、若くして戦場に赴いた兵士たちを思って胸がいっぱいになるのに、最後にRoyal Albert Hallのアーチ型の天井から、赤いケシの花びらが無数に、静かに舞い降りて来たのです。美しく、哀しく、切ないシーンでした。

01・11・06


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