ロンドン通信 118

   ハンプトンコートパレスのシェイクスピア

ハンプトンコートパレスは、ロンドンのウォータールー駅から電車で30分ほどのところにあります。ヘンリー8世の腹心であるウルジー卿が、自身の邸宅として1515年に建設をはじめたものです。中庭が次々と現れる典型的なチューダー朝様式で、部屋数は1000室にものぼり、その豪華さは王宮に勝るともいわれましたが、それがもとでウルジー卿は王の妬みを招き、15年後に失脚。邸宅はヘンリー8世の手に渡りました。

ヘンリー8世はすでに豪華であった建物をさらに拡張、前回のロンドン通信でご紹介したテニスコートのある翼棟や、グレート・ホールなどを増築します。パレスはテムズ川沿いに建てられているので、当時でもボートを利用すれば、ロンドンから簡単に訪れることができました。そこでジョージ2世の時代(1727-1760)に至るまで王室の離宮として利用され、エリザベス1世もここを住居としたことがあります。

今年はこのハンプトンコートパレスでシェイクスピアが上演されて400年を迎えるということで、グローブ座のカンパニーが特別公演をおこないました。7月だけの期間限定で、今年のグローブ座のレパートリーである3作品を、合計20回ほど上演するというものです。会場はヘンリー8世が5年の歳月をかけて建築させたというグレート・ホール。奥行32メートル、幅12メートル、高さ18メートル。高い天井は樫の木でできた大きな梁が見事です。

私はこの由緒あるお城で、グローブ座で見たロミオとジュリエット(ロンドン通信116)を再びみることになりました。シェイクスピアの時代、グローブ座は一般の人々が主な観客でしたが、パレスでの上演は王侯貴族が相手で、雰囲気も違ったはずです。当時に思いをはせながら、少し緊張してクイーンズ・ステアケースと呼ばれる大きな階段を上っていきました。

階段に続くギャラリーには、ヘンリー8世と一族を描いた大きな絵が飾られています。その前を通過すると、まるでその絵から抜け出てきたような女性とすれ違いました。シェイクスピアの時代、舞台衣装はその当時の人々の服装に準じていました(グローブ座の公演は、それを忠実に再現しています)。その女性は、今夜のお芝居を演じる役者の一人だったのです。さらに進むと、役者たちが舞台に出る準備をしている部屋にさしかかります。お芝居が始まる前からもう、エリザベス時代にタイムスリップしたような気持ちになりました。

グレート・ホールには、いすを並べた観客席が階段状にしつらえられていました。芝居は、正面のフロアでおこなわれます。楽団が演奏したり、バルコニーシーンに使用するために、一段高い部分がつくられているほかは、舞台装置はありません。正面の壁には、ヘンリー8世をテーマにした大きなステンドグラスがはめ込まれています。それ以外に窓はなく、内部は昼間でも薄暗い感じです。

平土間に立見席はなく、グローブ座の観客と違って、みんなとても静かです。大声で笑ったり、おしゃべりをする人もありません。また高い天井が音を反響させるので、役者たちの声がよく通ります。私はグローブ座で見たときより、劇に強く引き込まれていくのを感じました。

夜が更けるにしたがって、ステンドグラスから漏れる光は弱くなり、ついには黒い壁のようになってしまいました。ホール内の照明は天井からつるされたシャンデリアですが、これは蝋燭の形をしていながら、実際は電気で光っています。シェイクスピアの時代は本当の蝋燭だったはずですから、ちょっと残念に思いました。歴史的建造物ですから、火の使用は消防法で厳しく規制されているものと思われます。ハンプトンコートパレスは1986年4月に火災にあっていますから、なおさらのことでしょう(グローブ座のほうは数年前に再建されたので、スプリンクラーなど最新の防火設備が整っています)。グローブ座で使われていた松明も登場しませんでした。

しかしシェイクスピアの時代、王宮では室内で松明が利用されていたはずです。『ハムレット』の中でも王が宮殿内で芝居見物をする場面で、「護衛が松明をもって登場」と記されています。そこで『ロミオとジュリエット』をもう一度読み直してみると、松明が何度も登場することに気づきました。

ロミオと友人たちがキャピュレット家の宴会に出発する場面、ロミオがGive me a torch.と言っています。ジュリエットと初めて出会う場面では、彼女の光り輝く美しさを、O she doth teach the torches to burn bright! と表現しています。二人がひそかに初夜を共にしたあと、夜の明けるのを信じたくないジュリエットは次のように言います。

  Yond light is not daylight, I know it, I:

  It is some meteor that the sun exhaled

  To be to thee this night a torch-bearer,

  And light thee on thy way to Mantua.

暗いホールに松明が静かに燃えている中でこの場面が演じられたら、なんと素敵なことでしょう。

テキストでは、ジュリエットのお墓の場面でも、パリスが、そしてロミオが、松明を持って登場することになっています。

当時の芝居には今のような照明技術はなかったのですが、シェイクスピアはもしかしたら、松明で劇的効果を高めていたかもしれません。特に王宮での上演のように、聴衆の数も限られている場合、松明が中心となる役者を浮かび上がらせたのではないかと、楽しい想像をめぐらせました。

お芝居を満喫してホールから出ると、そこはヘンリー8世(彼は6度結婚しています)の5番目の妃であったキャサリン・ハワード(不倫を疑われ、斬首されました)が恨みをこめて夜ごと歩き回るという言い伝えのあるHaunted Galleryです。夜の闇が立ち込める回廊には、まさにその雰囲気が漂っていました。『ハムレット』のなかで芝居見物を中断した王が、「明かりを持て」と叫びながらホールを出て行く場面が思い出されました。グローブ座とはちょっと違うシェイクスピアを体験した夜でした。

写真:ハンプトンコートパレスの正面玄関

04・07・24   目次へ