Shakespeare Journal April 10, 2002
東京のシェイクスピア祭 4月20日に中大駿河台記念館で
4月23日はシェイクスピアの誕生日(推定)と命日。
この日の前後に世界各地でシェイクスピア祭が行なわれるが、日本シェイクスピア協会・日本英文学会が毎年主催している東京のシェイクスピア祭、今年は4月20日(土)の午後に中央大学駿河台記念館で行なわれる。
プログラムは講演、 「ハムレットとアナモルファーズの宇宙」 蒲池美鶴氏(立教大学教授)、対談とパフォーマンス:東京グローブ座「子供のためのシェイクスピア」シリーズをめぐって、 田中浩二氏(構成作家)山崎清介氏(俳優・演出家)司会:野田学氏(明治大学助教授)。時間などは日本シェイクスピア協会のサイトでご確認ください。
⇒ http://wwwsoc.nii.ac.jp/sh/festival2002.html
早稲田大学のシェイクスピア祭
‖ 大場建治氏が伝記の問題で講演
早稲田大学演劇博物館では毎年4月23日に「シェイクスピア祭」を主催しているが、
今年も4月23日(火)の午後に早稲田大学で行なわれる。
大場建治氏(元明治学院大学学長)の講演で、テーマは「シェイクスピアの墓を暴く女」。会場は同大学6号館318教室(レクチャー・ルーム)で14:40〜16:10まで。参加は無料。
「1856年10月5日水曜日深夜、アメリカ生まれの女性ディーリア・ソールター・ベイコンが、ストラットフォードの教会内にあるシェイクスピアの墓石を動かそうとして果たさなかった。これはナサニエル・ホーソーンの手記「ある才女の思い出」の報告するところである。この事件をめぐって、シェイクスピア の伝記の問題を考えてみたい。」
[演博の案内、講演の概要より]
⇒ 演博 http://www.waseda.ac.jp/enpaku/index-j.html
「漱石とシェイクスピア」
‖盛況だった町田市でのフォーラム
町田市のMETS英語教室・シェイクスピアを原書で読む会(高橋 大氏主宰)では、4月から「オセロー」に取り組むが、この機会に市民に原書で読むシェイクスピアの楽しみを共に感じてもらうために「漱石とシェイクスピア」などをテーマに4月8日の夕方(18:00〜20:30に町田市民フォーラム(第2学習室)で公開講座を開いた。新聞各紙(読売、東京、神奈川新聞など)が、取り上げられたこともあり、定員の20名が満席になり、補助椅子が必要だほどの盛況ぶりだった。
「漱石とシェイクスピア」のテーマでチューターの関場理一氏が講演し、 シェイクスピアへの旅 II(東京都立大、 本橋哲也助教授引率、大学セミナー・ハウス歳主催)に参加した同会のメンバー、小泉紀彦(としひこ)さんと新納(にいろ)たも子さんがイギリス訪問と観劇の報告を行なった。
映像で観る「オセロー」では、オーソン・ウエルズ版からトレヴァー・ナン版までの見所が解説され、抜粋でビデオが上映された。
最後の作品の初邦訳、
‖大井邦雄氏が完成
シェイクスピア最後の作品は「テンペスト」とされてきたが、本当の最後の作品は
ジョン・フレッチャーとの共作による「ヘンリー八世」(King Henry VIII, 1613)と
(The Two Noble Kinsmen, 1613)である。
その「二人の貴公子」がこのほど大井邦雄氏(早稲田大学教授)の手で翻訳され、「イギリス・ルネサンス演劇集」(早稲田大学出版部)に収録・出版されて、話題になっている。「朝日新聞」(4月7日)読書のページ「知りたい 読みたい」欄が取り上げた。
「二人の貴公子」は最初のシェイクスピア全集(F1, 1623)の刊行後に出版されたこともあり、全集に入れられなかった。 しかし1974年にアメリカのリヴァ−サイド版の全集に入り、そのあとでイギリスのア−デン版やオクッスフォード版やペンギン版の全集に収められるようになった。そのような経緯もあり、坪内逍遙訳や小田島雄志訳の全集にも入っていなかった。