後藤虎男のシェイクスピアン・ナイト


                       RSCAUNオセロを観る

RSCのグレゴリー・ドーラン演出のオセロとAUNの吉田鋼太郎演出のオセロを1日置いて観劇した。

RSCのグレゴリー・ドーランの演出はオセロに黒人の起用、イアゴー役のアントニー・シャーの気配りの行き届いた役周り、オセロがデスデモーナを絞め殺す場面では、アフリカ共和国出身の巨漢セロー・マーク・カ・ヌクーペはシャツの上に民族色豊な衣装を肩に掛け、彼の黒人出身でありながら、ローマの大国ヴエネティア国民の信認厚い将軍の地位に登ったものの、白人社会からは疎遠にされる。デスデモーナとの愛の語らいに心を揺さぶられ、お互いに愛を誓いあい、結婚したものの、デスデモーナを失いはしないかとの不安に絶えずさいなまされる。
オセロの語る数々の戦の様子を良家に育ち心の純粋なデスデモーナは心をときめかして聞き入り、オセロも心をときめかしお互いに純粋な愛の喜びに浸り、やがて結婚によってその愛を永遠のものに高めようとする。
しかし、オセロは育てられた環境と違う、ローマの大国ヴエネティアの上流社会との付き合いから疎遠にされて行く。戦時にかけては数々の武勲によって皆から尊敬されるが、平和の世の中になると、所詮、ヴエネティアの上流社会には受け入れてもらえなかった。
デスデモーナは純粋な愛を貫いた。良家の生まれで本当に純粋で、カシオのことをわが事として心配し、オセロに副官への復帰をお願いするが、イアーゴーに吹き込まれた嫉妬心に狂うオセロには、デスデモーナの良家に育った「接する総ての人に対する人の良さ」を理解できない。二人の間には心の行き違いが大きく膨れ上がり、やがては二人の愛の夢は破裂し、破局を迎える。
アントニー・シャーのイアーゴーは飽くまでも冷徹に最後までその意志を貫く。その冷徹さが芝居全体を動かして行く。それをアントニー・シャーのイアーゴーは楽しんでいたが、最後には愛妻のエミリアにも裏切られ一人悲しく命を落とすことになる。彼は救われない。地獄行きになる。
デスデモーナとオセロは同じく命は落とすが、デスデモーナは最後までオセロに対する愛を貫き、オセロもデスデモーナへの愛を取戻して天国へ二人で旅発つ。

グレゴリー・ドーランの演出はオセロとデスデモーナの愛を高らかに歌い上げ、天井から吊り下げられたレースに包まれ、黒人としての誇りを失わないオセロとキリスト教の総ての人への愛を貫いた白人としてデスデモーナは死の淵にあって二人は愛を固く結ぶ。これは、民族・宗教が異なっても最後は人類愛で結ばれるとこをグレゴリー・ドーランは高く歌い上げたかったと感銘する。人類は人種が異なってもお互いに結ばれることができることを彼は劇を通じて訴えたかったと思う。
席が一番前でセロー・マーク・カ・ヌクーペの熱演を目の前にし、彼が汗一杯でギラギラする迫力に圧倒された。

AUNのオセロは中井出 健。威厳はあるが、セロー・マーク・カ・ヌクーペの迫力にはかなわなかった。イアーゴ役は長谷川 耕。動きは軽妙だが、どしっと構えた落ち着きはなかった。

エミリアはイアーゴーの出世を願い、夫が欲しがっていたデスデモーナの落としたハンカチのを夫に渡す。これが、デスデモーナの悲劇のきっかけになろうとは、そこまで予想していなかった。しかし、エミリアはデスデモーナに接しているうちに、デスデモーナの純な気質に魅惑され、夫の不純さに嫌気がさし、夫との決別を決意する。エミリアの心の動きがRSCでは、はっきりせず、エミリア役のアマンダ・ハリスの困惑した表情が印象的だった。
それに対し、AUNのエミリア役の林佳世子さんは熱演で声の限り、声が続くのかと心配するような、大声でイアーゴーを詰り、劇の最後の締めくくりとしてとても印象的だった。AUNの観客席は100人位しか入らない架設舞台で、劇の舞台は後ろの観客席を一杯に使って演じられる。この演出のアイデアは面白かった。特に、
エミリアの嘆きに続いて、イアーゴーは舞台の後ろの観客席を使って縛り首に会う。この演出は印象的だった。

ShakespeareはOthelloで人間のjealousyとinferiority complexを描いた。オセロはデスデモーナを失いはしないかとの不安感、若いカシオに対するjealousyと自分が黒人であるとのinferiority complexで悩み、イアーゴーの上手な口車に乗せられ、デスデモーナの愛を疑い自己矛盾に陥ってしまう。イアーゴーはカシオにjealousyを感じ、見事に彼を泥酔させ副官の地位を失脚させ、ついで彼の殺害を試みる。エミリアは始め将軍の奥方になったデスデモーナにjealousyを持っていたが、やがて純粋なデスデモーナを愛するようになり、夫イアーゴーを捨ててしまう。ただ一人デスデモーナだけがオセロに対する純粋な愛に生き天国へ旅立った。

二つの劇を比べると、RSCは哲学的な瞑想とオセロの嫉妬心を強く表現し、オセロは地団駄踏んで、その嫉妬を表現したが、AUNでは、動きが軽妙で立ち回りの面白さが心に残った。同じ演目を続いて見るのは面白いことだった。

(平成16年4月21日: ル テアトロ銀座にてRSC、同じく4月23日: サンシャイン劇場にて)

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 蜷川幸雄/演出 吉田鋼太郎/主演 松岡和子/訳  タイタス・アンドロニカス を観て

白い舞台装置正面の上部には先王の息子のサターナイナスと弟のパシェイナスが白い着物を着て並ぶ。観客席の通路を通ってゴート族と長年に渡って戦いこれを征服したローマ軍が戦勝の幟を持って凱旋する。ローマ軍の大将のタイタス・アンドロニカスの帰国を群衆は感激して迎え、次の王には是非ともタイタスをと護民官達は一致して推挙するが、タイタスは老齢の自分はその任でないと、サターナイナスを次の王に推挙する。ここから、悲劇が始まる。サターナイナスはタイタスの娘ラヴィニアを妃とすると宣言しておきながら、ゴート族の女王タモーラの色香に迷い、タイタスが捕虜とした、タモーラとその息子達を解放し、タモーラを妃として宣言する。サターナイナスの弟のパシェーナスは前々からラヴィニアと結婚の約束があり、タイタスの子供達に守られて連れ出される。サターナイナスは怒り、タイタスはサターナイナスの意を汲んで、邪魔する子供の一人ミューシャスを殺してしまう。これは、サターナイナスに対する忠誠心からやったとしても、余りにもタイタスの行動は思慮不足。サターナイナス・タモーラの愛人エアロンにいい様に操られ、二人の子供と自分の左腕も失ってしまう。第一幕の進行はますます不利の方向にと釣る瓶落としに落ち込んで行く。劇を観ていても何とかならないのか、こんなにエアロンとタモーラの思い通りになってよいものかといらいらしてくる。

その流れをとめたのが、第一幕(原作の第一幕から第3幕)の終わりに登場した一匹の蝿。舞台は茶色の細長い机に左からタイタスの弟のマーカス・タイタス・タイタスの子供ルーシアスの子供の少年ルーシアスそして、舞台の右にはタモーラの二人の息子に強姦され、それを告げられないように、舌を切られ、字を書けないように両手首を打ち落とされたラヴィニアが立つ。タイタスの一族は完全に出所のない窮地に追い込まれる。そこで、マーカスが一匹の蝿を殺す。タイタスはこの蝿にも父親がいるだろう。どうして殺したとマーカスを詰る。(一茶の句を思い出し、タイタスの仏心に感心)マーカスはこの蝿があまりにも我々を騙して我々を惨めな状況に押し込んだタモーラの愛人色の黒いムーア人エアロンに似ていたのでと答える。ここで、タイタスは目覚める。俺もその蝿をやっつけてやる。あの憎いムーア人だと思ってな。俺たちもまだ落ちぶれていない。二人がかりでムーア人が化けて出てきた蝿を殺せるのだからと。タイタスが復讐を誓ったところで第一幕は終わる。

第二幕は流れるように復讐が進行し、観客は虐げられたタイタスが小気味よい復讐を次々に遂げる。第一幕が余りにもふがいないタイタスを描いてきただけに、その反動としての効果は素晴らしい。タモーラの息子達に辱められたラヴィニアは父親タイタスに、タモーラの息子達はタモーラの姦計を見抜いたタイタスに殺され、パイとしてタモーラの食前に。これを食べたタモーラはタイタスに、タイタスはサターナスに、サターナスはタイタスの息子のルーシアスに、そして、ルーシアスはサターナスの後の皇帝に、エアロンは生きながら穴埋めに素早い展開で幕を閉じる。

ムーア人エアロン・道化役・タモーラの息子達の他は、皆が白一色の服装。手を失ったラヴィニアがどのように登場するかと思っていたが、手から赤い血が流がれるように赤いテープを垂らし、舌を失った口からも赤いテープを垂らし、白い服装と赤いテープが心地よいコントラストを示した。それに、時々、ローマを象徴する双子の嬰児を育てる真っ白な巨大な狼が時に前向きに横に縦にと向きを変えて登場するのは、とても効果的だった。残酷な復讐劇だが、残酷さをあまり感じさせない。最後には少年ルーシアスが若々しい声でおじいさんの死を悼む悲痛な叫びを五回も上げ幕は閉じた。楽しい午後のひと時だった。

(2004/01/21 彩の国さいたま芸術劇場にて観劇)




蜷川幸雄/演出 市村正親/主演 松岡和子/訳 リチャード三世 を観て

話題の日生劇場へ始めて行ってきました。日本生命の前でホームページの地図を片手にうろうろして守衛さんに聞いたらここから入りなさいと言われ、エレベータを乗り継いで、2階席へ。少し遅れて到着。案内嬢の後ろに従いて2階の最前列の席へ。チケットピアにインターネットで予約した時によい席を御取り出来ましたと言われたがその通り。最前列の中央とは観劇には一番の好条件。残念なのは、家を出る時からうろうろし、到着が遅れ、リチャードの最初の独白が既に終わっていた。見始めは棺に従いて来たアンとリチャードのやりとり。アンが簡単にリチャードに靡いてしまうのは、あまりにあっけなかった。

舞台はロンドン搭の冷酷さをシンボライズするかのように十字格子の建築足場のような構造。中央は三階建で、ここに、聖書を持ち、二人の成り上がりの僧侶に付き添われたリチャードがもったいぶって瞑想にふける。市民の王になって欲しいとの市民達の懇願に本心は王になりたいのに、市民達をじらす。市民達が諦めて退場しようとすると、市民達を呼び戻す。

市民は観客席の間の通路を出たり入ったりする。私の席の隣の2階の通路にも一人市民が現れ、「是非とも王になってもらわなければね」と観客に話しかける。最後に王になることをリチャードが承知した時には観客全員が手を上げて喜びの拍手をする。リチャードの立っている櫓の下は舞台一杯の両開きの大きな鏡。これに、1階席の観客の手を上げて拍手し喜ぶ様が大写しになる。座席から見る観客は舞台の上でも大衆が喜びに歓喜しているように錯覚する。この舞台装置には感心した。これぞ見せ場というもの。

少し前になるが、マーガレットがリチャードに呪いをかける場面では、マーガッレトは櫓の上から呪いをかける。私にはマーガッレト役の松下砂稚子の声はドスが効いていたが、声が少し小さく、もう少し大きいほうがよかったと思えた。

何といっても、圧巻はリチャード役の市村正親とエリザベス役の夏木マリの掛け合い。誰がやっても気持ちのよい掛け合いだとは思うが、聞いていてまことに、すっきりした。お互いに言いたい放題言い合うのは気持ちのよいもの誰でもやりたい役回りだと思う。ここを聞いただけで、日生劇場まで行った甲斐があると言う事。

片端のリチャードはマントを肩に引っ掛け、片足にサポータを着け、舞台をドシドシと歩き回る。その歩き様は小気味よかった。

端役としては暗殺者とティレル役の清家栄一が軽快な身振りでよかった。その他、馬がよかった。馬の足を演じた加瀬竜美と神保良介もよかった。立派な馬で舞台が引き立たった。

戦闘の場面で右にリチャードがベットに、左にはリッチモンドがベットに、ライトがお互いの様子をかわりがわりに映し出す。リチャードに対しては殺された人物の亡霊が櫓の上に現れ、呪いの言葉を次々にかける。リッチモンドは悠々と熟睡する。現代の武器の照明が活躍する。

終わって考えた。現代の演劇は照明の力によって随分と助けられているが、16世紀のシェイクスピアの時代には昼間ライトも使わずに演じられた。或いは、天井の締め切られた舞台で照明技術を駆使しての演出は、本来は邪道ではないのかと少し心配になった。

(2003/12/19 日生劇場にて観劇)




                     ASC公演 四人の俳優による「ハムッレト」

11月24日の祭日に、アカデミック・シェイクスピア・カンパニー(ASC)の第27回公演「ハムレット」の最終公演を見てきました。

銀座みゆき館劇場というのに始めて行きましたが、横10列・縦10列のとてもこじんまりした劇場がこんな銀座のまんなかにあるとは信じられない位でした。劇場の外に二十歳位の原宿を歩いているような若い女性が20人ばかりたむろしていて、この子達は何者か、劇場に入るのかと疑っていましたら、私の直ぐ後ろの席はこれらの女性に占領されてしまいました。彼女らのしゃべっているのを耳にすると、彼女らのほとんどはハムッレトは全く知らないようで、付き添いのような少し年配の人がハムレットは前の王様の子供で先王を殺した弟と結婚した母親をハムレットを殺してしまうのだとか話して聞かせていました。観客には三四人の年配者がいましたが、ほとんどが20台の人達でした。

彩乃木さんの演出は随所の感心させられました。始めから終わりまで、マリンバの生演奏で話が進められ、劇を盛り上げていました。

男性がハムレット役の彩乃木さんの他に二人、女性が鈴木麻矢さんと「4人の俳優で四大悲劇を」のほうです。チケットピアでチケットを探したらもう売り切れとのこと。銀座のみゆき館へ行った所、24日に「4人の俳優で四大悲劇を」があるので、これの方を見てくださいと劇団の人に勧められました。高木さんの観劇日誌では人間関係チーム”による公演をご覧になっておられ、彩乃木さんはクローディアスと先王を、ハムレットは菊地一浩さんが演じておられ、違うようです。こちらは、彩乃木さんはハムッレト役だけですが、塩崎さんはガートルード・ポローニアス・レアティーズ・ロゼンクランツ、西さんはクローディアス・先王・ギルデンスターン・オズリック、オフィーリア役の鈴木麻矢さんはホローシオと墓堀りと三役でした。それぞれ、筋の進行に従ってピーと役を切り換えるのに感心しました。

一番感激したのは、鈴木麻矢さんで、他の三人は鈴木麻矢さんを引き立てるためのナレーター役と私には思えました。オフィーリアが気が狂って歌を歌い、嘆き悲しむ所はとても印象的でした。オフィーリアの歌に伴奏するマリンバがとてもよかったです。歌もかなり上手で楽しめました。気が狂った様子はマスクを被って舞台で歌を歌い横ばいになってごろごろ舞台を転がる様はよかったです。聖書を手にしてレアティーズに花言葉を語りかけるシーンも感激しました。彩乃木さんの演出による狂気のオフィーリアのかぶるマスクがとても神秘的で印象的でした。

それに、鈴木麻矢さんの墓堀りがよかったです。長い机の上で自由に動き廻って演技し、歌を歌ってスコップを使って動き回り、ヨッリクの髑髏を掘り出してハムッレトに渡す所はよかったです。

鈴木麻矢さんを自由に演技させるために、男性三人がナレーターの役をして劇を進行させていたというのが、私の印象です。劇中劇でお能の人形を使い、セリフを謡のようにしゃべったのも一つのアイディアでした。

最後の決闘の場面はどうするのかと期待したのですが。ハムレットとレアティーズが口で「一本取ったと」か言うだけでこれは期待はずれでした。

時々ランプで顔を下から照らし、鼻と目だけ見せるのが幻想的な感じを与えました。衣装は始めから白い衣装だけで変えなかったのも無駄がなく良かったです。

休日の午後に楽しい一時を過ごすことができました。

私の後ろに席を占めた女性群は中に花束を持った子がいたので、恐らく鈴木麻矢さんの友人仲間だったのでないかと思われました。

(訳/小田島雄志、演出/彩乃木崇之、銀座みゆき館劇場にて、11月24日(月)午後の最終公演観劇)

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