アイルランドの細道

教会の尖塔と須賀敦子と

朝から歩いて、3時ごろになると、草臥れ始め、今日たどり着くはずの町が気になって来る。アイルランドでは広々と見通せる所が多いので、目は遠くかなたを追い、何か尖った物はないか探すし始める。町といっても、日本の町に較べると小さいものがほとんどであるが、必ず教会があって、その尖塔が遠くから見えるからである。それが、見えると一安心なのである。1時間も歩けば町に着く。教会とパブ、これが町(村)の最小限の道具立てで、銀行や郵便局、レストラン・・・と加わるが、メインストリート呼べるようなものが100メートル位のものが多い。旅人にとっては教会の尖塔を発見すると、胸にぱっと小さな喜びが破裂する。これが、地の人なら、自分の町(村)に帰ってきたかという安堵感が伴うと思う。

ランドマークとしての教会の尖塔のいかに大きいか歩いてみて良く分かる。
ミレーの「晩鐘」の遠景に教会の尖塔が見える。教会の鐘の音によって祈りを始めたものと思われるが、尖塔は彼らが帰る方向を指し示している。
須賀敦子の『コルシア書店の仲間たち』の中に、ミラノから20キロほど離れた所へ、所用で出かけ、はるか彼方に光る細いもが、ミラノの大聖堂の尖塔であるとわかったときの衝撃について書いている。
「ふだんは日常の一部になりきっていて、これといった感慨を持たなかったミラノだったのだが、朝の陽光に白く輝く大聖堂の尖塔のイメージに触発されて、いいようもなくなつかしい、あれが自分の家のあるところだ、といった感情をよびさまし、ほとんど頬がほてるほどだった。・・・」

教会の尖塔は、何百年もの間、人の心の目印のようなものを提供してきた。
山の多い日本では、そのようなものがなく、私にとって、昔、東寺の塔が、関西に帰ってきたというシンボルであった時期もあったが、今、そんな感慨は起きない。
都市も最初はランドマーク的な高層ビルが一本建って入る頃はそれなりの感慨を呼んだと思うが、いまや高い建物が多すぎる。そのような目印がなくなって、同時に人の心もあてどない、不安定なものになったような気もする。

もし、教会の尖塔の持つ、心の目印のようなものを見てみたいなら、アイルランドをはじめ出来るだけ広々としたヨーロッパの田舎を徒歩で歩くのが良いと思う。

引用の本は、1992年発刊された当時、一度読んでいるのだが、読み返してみると、見事に忘れていて、はじめて読む感じでした。もう少し、前後を引用しないと、著者に礼を失するのではないかと思いますので、追記しておきます。

「ひとりでミラノを出ることがほとんどなかった私は、なんとなく心細い気持ちで、その道を歩いていた。そのとき、ポプラ林のあいだの、ずっと遠いところ、ミラノの方向と思われる地平の一点に、小指の先より細いなにかが、太陽の光線をうけて、ちらちらと白く光っているのが見えた。
ちらちらと白く光っているものが、ミラノの大聖堂の尖塔だとわかるのに、それほど時間はとらなかった。あ、ミラノだ。とっさにそう思ったのだったが、そのことで心がはずんだことに、私は小さな衝撃をうけた。[上記引用箇所が入る]日本が、東京が、自分のほんとうの土地だと思いこんでいたのに、大聖堂の尖塔を遠くに確認したことで、ミラノを恋しがっている自分への、それは、新鮮なおどろきでもあった。」 (文芸春秋社刊、同書の「街」から)

この後も、大聖堂の尖塔にまつわる話が続くが、須賀敦子にとってミラノがどんな意味を持つかは、この本を全部、いや、彼女の他の作品を読まなくては分らないだろう。社会の底辺に近い人々から、インテリ、貴族と実に様々な人との付き合いがあって、それを、心の宝物のように、彼女らしいやり方で、一つずつ並べて見せてくれるのが、須賀文学だと思う。

須賀敦子の『ヴェネチアの宿』は、彼女の筆の対象が、次第に彼女の生涯を遡ると共に、純度を増していく作品であるが、その中に「大聖堂にて」という文がある。はじめてのパリ留学の翌年1954年、カトリックの司祭の提唱になる、シャルトル大聖堂への、学生達による2日間の巡礼の旅のことについて書いた文章がある。この行程をくわしく写し出しているのであるが、その2日目
「3時を少し過ぎたころ、小さな叫び声につづいて、シャルトル、カテドラル、という声が上がり、もういちど拍手がおこった。ずっとむこうのなだらかな地平線に、針の先のような尖塔のテッペンが、まず一本、それから二本、見えはじめた。大聖堂だ。シャルトルの聖母をたたえる賛歌がわきおこる。アヴェ・アヴェ・アヴェ・マリアというルフランで終わる、マリア賛歌の替え歌だ。
歩くにつれて、ふたつの塔のかたちがはっきりしてくる。はじめは、えっ、どこに?と視界のなかを探すほどだったが、だんだん確実に見えるようになった。・・・・」
このときの彼女の感動は、歩いて見てはじめて分る類のものである。

アイルランドには、シャルトル大聖堂のようなカテドラルはない。といっても私はまだこの大聖堂を訪れたことはないのだが、ミラノ、ケルンなどの聖堂から想像が付く。セント・パットリック教会もこれらの大聖堂に較べれば、小さい。でも、アイルランドを歩いてみて、どんな小さな教会の尖塔でも、一歩一歩歩く旅人には、本当に嬉しい、心の目標となった。

教会の尖塔ではないが、ダブリンのオコーナー・ストリートの真ん中、ヘンリーストリートとクロスする所に立つ120メートルの「光の尖塔」は、町を歩く者にとって格好の目印となっている。私の宿はこの尖塔から数分のところにあったので、この塔が見えることがどれだけ心強かったか知れなっかた。

車や電車、特に地下鉄で移動する都会人には、もはや「塔」の大切さが分からなくなっている。東京にいながら、私はまだ、スカイ・ツリーを知らないのだが、この世界一高いと言われる塔が、おのぼりさんや外国人に格好の目印になると思うが、果たして、我々の心のよすがとなるのだろうか?
目次