アイルランドの細道

帰国

大きな音の出る目覚まし時計を持って来なかったので、1、2時間毎に目を覚まし時間を確かめた。夢で、女子社員が会社のカードを不正使用しているのを、取り戻すという変な役をやらされていた。何とかうまくいったところで目が覚めたら、6時半だった。7時に食堂へ行き、いつもと変らない食事を取った。オレンジジュース、フルーツ、ソーセイジ、卵、トマト、豆、紅茶、パン(バター、マーマレード)。8時前チェックアウト。ホテルの前からのバスに乗る予定であったが、受付の女性に「今日はバンク・ホーリデーで次は8時30分しかありませんよ」と注意れて驚いた。今日は月曜だが、アイルランドでは祝日なのである。この女性は私が宿を4日延期したときにもいた女性である。3分ほど歩いたところのバス・センターからAir Linksという空港直行便があるので、慌てずに、Air Linksで行こうと思いますと言うとそれが良いと彼女は答えた。
「アイルランドに思わず長く居てしました。やっと国へ帰れます。ありがとう。さようなら。」と立ち去ろうとすると、太く白い腕がカウンター越しにぬーと伸びてきて、握手してくれた。柔らかい掌を握りながら「ああ、これがアイルランドだ!」と思った。「See you again!」

バスターミナルでは、Air Linksはすぐやってきて、あっという間に空港へ運んでくれた。8時半。11時30分の出発には3時間もある。9時、少し早いが、搭乗口で、チェック・インは何時から始まるかと聞くともう受け付けると言う。早速手続きをして、アムステルダムまでと成田までの2枚の搭乗券を手にしたとき、やっと日本に帰れるのでという確信が出来た。手荷物の検査は厳重で、勿論靴は脱がされた。洗面具の中に、刃渡り4センチ程のスイスのアーミーナイフを入れていたのが引っかかった。Mさんからお土産に戴いて40年近く愛用のものであるが、それを放棄するしかなかった。もう一度、元へ戻り、別送の荷物を取り返し、そこへ入れればよいのだが、それは気の遠くなるほど煩わしく思えて、残念ながら諦めた。やっと、手続きが済んで、待ち時間を、窓の前にカウンターのあるスタンドで、ギネスを前にして、はるか彼方のアイルランドの低い山稜をぼんやりと眺めて過ごした。明るい光が降り注いでいた。
飛行機は中型でAer Lingusというマークが付いていた。KLMはアイルランドではこの会社と提携をしていて、独自の運行はしていないようだ。
イギリスの海岸線を目に納め、やがて眼下にアムステルダムの街を見ることが出来た。降り立った空港は来たときと同様少し閑散としているように見えた。うどんやそばのあるNoodlesの看板をちらりと見てやり過ごし、Sushi Barのところで、お酒を一杯やりたいのを押さえ、お寿司だけを食べた。14時20分の搭乗開始には間があるが、空港は広いので念のため、出発ゲートF04の所へ行ってみると満員の人である。近くの時計を見ると14時40分を指している。私は泡を食ってしまった。
ダブリンとアムステルダムとの間に1時間の時差があるのに気が付かなかったのだ。おそらく、飛行機の中で注意があったはずだが聞き取れていなかったのだ。もし、私が時間はあると思って酒でも飲んでいたらどうなっていたか?背筋がぞっとした。窓口では、パソコン上、乗り継ぎ客の私が現れないことの特別なサインが出ていたのであろう、待っていたとばかりの対応だった。厳密な検査を経て、すぐ搭乗開始、そしてKLMの機中の人となっても、先ほどのニアミスの恐怖はしばらく消えなかった。

何百人もの人とその荷物を積んで、鉄の塊が空を飛んでいるのが不思議であった。10時間の空の旅は長かった。隣は旅馴れた日本の女の方で、スチュワーデスに気安く話しかけていたから、この方も元スチュワーデスかも知れない。方位学に詳しく、私の年を聞いて、手引書のようなものを繰ってくださった。九紫火星は、今年は西の方向が最高ですよと、2重丸の付いている箇所を見せてくださった。私は、最高の時期にアイルランドを選んだことになる。
2度の機内の食事のあと、間もなく成田に着いた。

成田エクスプレスの中は東京に向かう外国人で一杯だった。曇り空で、沿線の緑はアイルランドのとは違っていた。脆弱な建物群が増えてきて、自分が居た元の世界へと戻って行くのを感じながら、まもなく品川へ着いた。山手線で渋谷、渋谷からバスに乗って、体を日本に同化させていった。
家の手前、常陸宮邸前の3角地帯には、私の大好きな3本の百日紅がピンクの花を付けていて、蝉が鳴いていた。
家のドアは少し開けてあって、引くと、そこに妻の笑顔があった。

(8月3、4日のこと)

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旅の記録はこれでお終いです。この後、アイルランドを私のように旅する人のための参考事項を書いて行きます。