和本について  
   
  漢籍は和本で読むに限ります。
  普通の活字本と違い、文字がこちらへ飛び込んできます。文字が大きいのも、和紙のやわらかい手触りも心を和ませます。そしてこれらの本を読んだ人たちがほとんどちょんまげを結っていたはずですし、朱点や書き込みを入れた先人のこともしのばれます。古いものは2500年以上も前の文章で、それに注をつけた学者、句読点をつけた儒者たちと歴史の重なりが感じさせ、また、孔子や老子の言葉が一直線に我々の手元まで届くことに驚きます。どうして読めるか不思議ですが、ありがたいことに日本は漢字の国です。分からなければ注釈書は山とあります。シェイクスピアに比べて歴史の深みが違います。
  貧士の本棚にあるのは、読むため集めた最小限の和書で、骨董的価値は余りありません。
  これらの本を、これからを読むのですが、全部読んで死にたいものです

  日本の文字の世界の半分以上は、私は漢文に負っていると思うのですが、不幸にもこの百年の間に二度大きな試練に遭いました。一つは明治維新。二つは太平洋戦争敗戦。この二つによって徹底的打ち砕かれました。明治維新では漢文だけではなく廃仏毀釈のように仏教も同じ目にあったわけですが、江戸の伝統はまだ、大正の頃まで存続していました。和本もこの頃まで続いております。
 太平洋戦争敗戦が徹底的に漢文を一掃し、我々世代は、漢文は国語の古文の一部で教えられたに過ぎません。日本語の半分は漢語からできているというのに、そんな馬鹿なことはあってはならないのですが、時流というものでしょう。
  私たちは、思考のよるべき基盤の一つを失いました。我々はそれに変わるものとして何を学んだのでしょうか?民主主義?

  和本は本家の唐本より質がよいのではないかと思います。それに句読点が打たれていて我々には丁度よいのです。中国音で中国流に古典を読めるといいに決まっていますが、私にこれにチャレンジ出来る時間が与えられるか分かりません。昔の日本人はそんなことを余り気にせず、漢文訓読式に、どんどんと、中国文化を吸収して我が物としていったのです。
  和本=古い=汚いと特に女性には好まれませんが、もう、再生産されることもないこの和本たちを大切に扱って欲しいものです。

本棚(和本)へ