アリス、アリスに会う  174-

174 「なくて七癖」と言いますが、ひとにはさまざまな傾向や性向があります。心をととのえる方法を求めるにも、その違いが現れます。大きく分けると、「心をととのえるとはどういうことか」とか「どうしてその方法が有効なのか」とか理屈を知りたがる人と、そういうことにはあまり関心がなくて、「どうすればいいの?」ということを感覚的にとらえてしまうタイプとがあるように思います。私のところに来るメールなどから判断すると、やはり男性には理屈先行型の人が多く、女性には感覚的な人が多いようです。

はじめに理屈抜きでいちばん簡単な方法をお話します。それは、一日中、朝から晩まで、心の中で「ありがとうございます」と言い続けるというものです。誰に対しても、何が起こっても、ただ「ありがとうございます」と言い続けるのです。

簡単ですが、必ずしも易しいとはいえません。こんなことは絶対出来ないと思う人もあるでしょう。絶対不合理だと思う人もあるでしょう。自分に対して不都合なことをする人が目の前に現れたとき、たとえ心の中だけであっても、その人に「ありがとう」ということは容易ではありません。むしろ、場合によって口では「ありがとう」と言うことはあっても、心のなかでは「この野郎、お前なんか死んじまえ!」と悪態をつくのがふつうではないでしょうか。

けれども、この方法の重要なポイントは、「無条件」ということです。善悪も損得も好き嫌いも一切無視して感謝を唱えるのです。

これよりも、もう少し複雑ですが、同じくらい簡単でもっと強力な方法があります。それは「ありがとう」「あなたを愛します」「ごめんなさい」という三つの言葉を繰り返し唱えるというものです。これも無条件です。誰に対しても、どんな出来事に対しても、心の中で、感謝と愛と謝罪の言葉を述べるのです。

やってみればわかりますが、「ごめんなさい」という謝罪の言葉は強力です。心の中に強い抵抗を感じるでしょう。「なんで、あいつにおれが謝らなければならないの。誤るのは向こうだろう!」という思いを感じるでしょう。理屈先行型の人や、正義感の強い人には、受け入れがたい方法かもしれません。

なぜ、この方法が心をととのえる方法になるのか、その理屈はいずれ、先でお話しましょう。今は、理屈先行型の人も理屈を抜きにして、この方法を覚えてください。出来ても出来なくても覚えておいてください。人によっては、実行は難しいかもしれませんが、覚えるだけなら簡単なはずですね。

175 アリス:多くの健康法と同じく実行しないと効果はありませんね。
しばらくやってみましょう。
それにしても「ごめんなさい」と言うのは珍しいです。

176  2ヶ月ほど前、ある人が私に不思議な話を教えてくださいました。そのサイトを探したところ、同じ話を書いたサイトがいくつかあるようで、どれが最初のオリジナルなのかよくわかりませんが、その中の一つを次に書いておきます。http://plaza.rakuten.co.jp/momo9189/diary/200610300001/

その話の骨子は次のようなものです。

イハレアカラ・ヒュー・レン博士というセラピストがハワイの州立病院で触法精神障害者――法を犯したけれども、精神に障害があるという理由で、減刑されたり無罪になった人たち――の病棟に勤務したところ、数ヶ月のうちに危険な患者達の症状が眼に見えて改善されるようになり、退院の見込みのなかった患者が退院するようになった。数年後には、患者がいなくなったため、病棟は閉鎖されたという。

博士は、ホ・オボノボノというハワイの伝統的な治療法を行ったのだという。博士は患者を一度も診察しなかったそうである。博士は実際には何をしたのだろうか。

この話を取材した記者に対し、博士は「私は、彼らを創り出した私の部分(パート)を癒していたのだ」と言った。具体的にはただ心の中で「ごめんなさい」と「愛しています」を繰り返していただけだそうである。

博士はこう言う。
「あなたの人生の中の全ては――単にそれがあなたの人生に存在しているというだけの理由で――あなたの責任なのです。文字どおりの意味で、全世界があなたの創造なのです」と。

この話をレポートした記者は、次のように付け加えている。
「これはつまり、テロリストの活動、大統領、経済――あなたが経験していて好きではないこと――を癒すのは、あなた次第だということである。言ってみれば、それらは存在してはいないのだ、あなたの内面からの投影である以外には。」

「それらは存在してはいないのだ、あなたの内面からの投影である以外には」――これが、私のサイトでも一貫してお話していることです。問題は、私たちがこのことをいかに深く理解し、心の奥底までその理解を浸透させ、そして自分の心から不必要な想念を消滅させるか、ということです。

「ありがとう」「ごめんなさい」「愛しています」などという言葉は、誰かに対して言う言葉ではありません。ただその言葉を心に浮かべることによって、自分の心が癒される――そこに意味があるのです。

177 アリス:その後、「ありがとう」「愛しています」「ごめんなさい」を唱えて居ます。確かに、心のひずみを取る大きな効果がありますね。どの言葉もエゴから見て、他者に向けられているようですが、このように自分の中の他者を、自分に引きつけることよって、全体性を取り戻すのでしょう。癒しと言われたのはこのことですね。
猫さんのやり方と少し違いますが、法華経(第二十)には、いつも誰に対しても「私はあなたを軽んじない」と唱え続けていて、常不軽菩薩とあだ名を付けられた人が登場しますが、この人もおそらく同じ心の持ちようではなかったかと思います。
自分の心の中にあるものを全部そのまま受け入れることから始めなければと思っています。
これらの言葉は、私が他に与えているものよりも、比べものにならないくらい多くのものを他から得ているか、また、私が思っている以上に、他に害を与えているか、をエゴに知らしめていることが良くわかりました。

178  常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)はお釈迦様の前世だとされているようですね。自分に危害を加えようとする人からは逃げて行って、遠くから拝んだといわれています。

なぜ、このように、あらゆる人を拝み、あらゆる人を愛することが、大切なのでしょうか。それはふだんの私たちの心の中を覗いてみれば、よくわかると思います。私たちは、ほとんど無意識のうちに、世の中のすべてに対して――あらゆる人や出来事に対して、そして、自分自身に対しても――不平や不満、非難や軽蔑の念を持っています。そう思いませんか。

もし、自分はそうではない、無意識のうちに、あらゆる人に対し、あらゆる物事に対し――殺人や汚職や、テロや反テロの暴力のすべてに対しても――祝福と尊敬、愛と賞賛の気持ちを持っている、と思う人がいたら、その人はもうこのサイトを読みに来る必要はありません。ただ、その生き方を続けてください。それが霊性を回復した人が地上を生きるときの生き方なのです。

けれども、多くの人はそうではないと思います。私たちは、表情や言葉に表さないとしても、心の中では、ほとんどすべての人や物事に対して不平不満を持っているというのが実態ではないでしょうか。
  内閣改造が行われた――どうせ大した変わりりばえはしないだろう。
  バグダッドで自爆テロがあった――ブッシュがイラク戦争を始めたのがわるい
  ガソリンが値上がりした――世の中はだんだん暮らしにくくなるばかりだ
  女房が長電話した――まったく、女って奴はしようがない奴だ
  ・・・
私たちはそれを当然だと思っています。それは「世の中が悪いのは自分のせいではない」と思っているからです。

けれども、先ほどのハイレアカラ・ヒュー・レン博士は言います。
「文字通りの意味で、全世界があなたの創造なのです」。

そして、どんな世界を創造するかは、私たちが心の中に愛を持っているか非難を持っているかによるのです。私たちは、世界が悪いから非難するのだと思っています。けれども、本当は、私たちの心の中に非難のエネルギーがあるので、非難したくなる世界が現れるのです。

「愛しています」「ありがとう」「ごめんなさい」――これらは非難とは正反対のエネルギーです。ですから、このような言葉を絶えず心に思い浮かべていると、心の中の非難のエネルギーが減ってきます。そうすると、あなたが創造する世界も少しずつ変わってくるようになります。

もう一つ、別のサイトを紹介します。それは鏡の法則という物語のサイトです。これも読んでみてください。
「鏡の法則」は、最近では本になって書店の店頭に並んでいます。それだけ、この物語に対する反響が大きかったのでしょうね。

179 アリス:<私たちは、ほとんど無意識のうちに、世の中のすべてに対して――あらゆる人や出来事に対して、そして、自分自身に対しても――不平や不満、非難や軽蔑の念を持っています。そう思いませんか。
仰る通りですね。私の心に去来するものを誰かが分析したら、80%以上これに当たるかもしれません。これによってエゴをますますガードしているのですが、その結果は更に不平不満と悪循環を重ねています。
「愛しています」「ありがとう」「ごめんなさい」――これらは非難とは正反対のエネルギーです。
少し前に、123で<わし:お前は私が与えた意思によって私を離れたのだ。その力で私のところへ帰れ。愛のエネルギーを逆噴射したら、直ぐわたしのところへ帰れるよ。>と言ったのですが、「愛しています」「ありがとう」「ごめんなさい」は正に逆噴射だと改めて思いました。

鏡の法則は一つの心の中の出来事と見れば抽象的には分るのですが、原因と結果の間にどこか飛躍があって、なかなか常識的な説明がつきにくいですね。子供がいじめにあうことと自分が父親に感謝しないこととの間に上手く橋渡しが出来れば素晴しいと思うのですが・・・・

180  :鏡の法則についておっしゃることは、そのとおりです。そして、その説明をするために、私はこのサイトを開いているようなものです。私のサイトに、その説明が書いてあると思われませんか?

釈迦やキリストが教えたのも同じことでした。けれども、それは確かに「常識的」ではありません。ですから、何千年も前から教えられているにもかかわらず、これまで信じる人が少なかったのです。

なぜ、私たちは、この話に飛躍があると感じ、非常識だと思うのでしょうか。

私たちの常識的な世界観は、物質世界という舞台の上に、独立した個々の人間が存在していると考えています。したがって、ひとりの人間が他の人間に影響を与えようとしたら、この物質世界の舞台の上で、直接間接に何らかのコミュニケーションを行わなければならないと思っています。

鏡の法則が非常識に見えるのは、この常識的な世界観が間違っているからなのです。そのことに気づき、常識的世界観を放棄した人にしか、この法則は受け入れられないと思います。

けれども、はじめインターネットで公開された「鏡の法則」が本になって出版されたということは、その非常識な話を受け入れる人が増えているという証拠だと思って、私は喜んでいます。

ただし、話を受け入れるだけではなく、実際に、心の中で他人を批判したり非難したりすることをやめ、代わりに感謝と愛と謝罪の気持ちで心をいっぱいにしなければ効果はありませんが・・・。

181 アリスすべてが意識の中の出来事という考えは、猫さんとのお付き合いの中で次第に親しいものになっています。
猫さんのHPの中で「外界は暗号のメッセージ」http://members.jcom.home.ne.jp/dawn-watcher/pc/pcB8.html
などはそれを端的に示している章だと思います。
ただ、総論は分るとして、あるレベルに達すると意識の中での個々の因果の過程は分るものなのでしょうか?自分の息子の問題と自分の父親に対する態度が関係しているということをどのようにして発見できるのでしょうか?
ある問題をどう解決するか?これは原因と結果の対応がわかっていなければなりません。
1ペーニー入れるとガムが1個でる自動販売機があって、原因と結果の結びつきを「ペニー・ガム法則」と言うそうですが、意識の中は、このように単純なものなのでしょうか?これに対して原因は見えないところにあって、本人は気がつかない。フロイトやユングのように潜在意識の世界に降りていかなければならないと考える人も居ます。また、その因果関係は人知を超えるものだから、手段のみ与えようというものもあります。マントラ、南無阿弥陀仏、南無妙法蓮華経と唱えるのもその一つと見ることが出来ます。この壷を買えば難病が治るとか、この世の中にはちょっと変わった「ペニー・ガム法則」が沢山あります。

こんなことを言うのは私が理屈先行型なのでしょう。
実践に邁進すべきでしょうね。

182  : 意識の中は、1ペニー入れるとガムが1個出てくるというほど単純なものではありません。意識の中の個々の因果関係を知ることは不可能だし、元々そのような単純な因果関係は存在しないと思います。

たとえて言えば、意識の中の現象は地球の気象現象のようなものだと思います。空気中の炭酸ガスが増えれば、気温が上がり、海面からの蒸発が増える。その結果、ハリケーンが大型化するとか、豪雨が増えるとか、一般的な予言は出来ますが、どこに台風がくるかとか、いつ旱魃が起こるかという個々の現象は起こってみなければわかりません。

意識の中の現象も同じです。父親と喧嘩している人の子どもが必ずいじめられるわけではありません。けれども、その人の人間関係のどこかに、父親との不和を反映する出来事があらわれるでしょう。場合によっては、それは、人間関係の中にではなく、経済面や身体面の現象になって現れるかもしれません。

したがって、個々の現象の因果関係にとらわれるより、全体としての意識の状態に眼を向けたほうがベターだと思います。異常気象の問題を解決するのに、個々の台風の発生要因を探っても仕方がありません。それよりも炭酸ガスを減らす努力をしなさいというのが、意識の問題に取り組む場合にも当てはまると思います。

07/9/16

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