アリス、アリスに会う   53−58


53 
アリス: 今、私が花を見ています。それは猫さんの説によると潜在意識が顕在意識にそうさせているのだとの事です。今、私がいくら顕在意識でリンゴを見たいと思っても、それは出来ません。なぜなら、猫さんによると

<潜在意識は、潜在意識のままではコントロールできません。なぜなら、これはコントロールできないことにしよう、と言って、自分という領域の外に出してしまったのが潜在意識だからです。もし、潜在意識をコントロールしたいと思うなら、それを顕在意識の領域に取り込まなければなりません。それは、私たちが「自分」だと思っている意識の領域を潜在意識の領域へ拡大することです。別の言い方をすれば、顕在意識と潜在意識を統合するということです。>

<自分の意識のすべての部分が顕在化すれば、自分の知らない出来事が起こることはなくなりますから、文字通りの意味で「不如意」はなくなるはずですね。話が混乱しないように、できるだけ短い説明で進めていきます。これで、不如意への対応策がお分かりになったでしょうか。>

というところで、私立ち止まりました。不如意への対応策が分からなかったのです。対応策の前提条件としていいですか?というのであれば、これまでのように、ご説明を前提にして、それなら、どのようにして顕在化(または統合)するのですかとお聞きするはずでした。

 

 対応策を思いつかないようではどこか猫さんのお話を聞き漏らした所があるのではと思ってので、振り返ってみましたが、相変わらず分かりません。

 考えなおしますとエゴは不完全を味わうためにあるとしますと、そのエゴの顕在意識と潜在意識を統合しても不完全なものであって、次に魂との統合の事が問題になることは、これまでの猫さんのお説から出てきそうです。

 

 どこか猫さんの論理構成の中に私の分からないものがあるようです。手段と結果を求めて、中間の議論を飛ばしてきたことにも原因がありそうですが、なんとなく議論のための議論となりそうで気が進みません。とりあえず、少し時間が経ちましたので状況報告いたします。

 

54  <どこか猫さんの論理構成の中に私の分からないものがあるようです>と言うことなので、少し私の基本的な考えを単純化してお話ししてみましょう。

 

 私は、私たち人間はすべて、「神から出て神に帰る旅」の途中にあると考えています。アリスさんがときどき出かけられる海外旅行は「日本から出て日本に帰る旅」と言えると思いますが、それと同じです。

 

 その旅の途中で、いま私たちは不如意の生じる世界に来ています。それは海外旅行の途中でアフリカの奥地か何かに入り込んで、日本語が通じないで不自由しているようなものです。アリスさんが「不如意をなくすにはどうしたらいいですか」と言われるのは、アフリカの奥地にいて「日本語が通じるようになるにはどうしたらいいですか」と言っておられるのと同じです。私は「日本語で話をしたければ日本に帰りなさい」と言います。

 

 その次に来るのは「どうしたら日本に帰れるのですか」という質問でしょうね。一般論としては、どこかの町に出て、空港か、旅行社か、大使館か、何かを探して飛行機に乗りなさい、ということですが、私はアリスさんがどこにいて、周りの地理がどうなっているのか、アリスさんのいまいる場所から町に行くには、東に行くべきなのか、西に行くべきなのか分かりませんから、これ以上具体的なお話はできません。(これまでにもいくつかの方法をお話したつもりですが、それがうまくいくかどうかは、一人ひとりの心の状態によって異なるという意味です。)

 

 私がいま持っているイメージは、このようなものですが、アリスさんのお考えとどのあたりが食い違っているのでしょうか。

 

55 アリス:いい例え話を出してくださいました。どこか分からないジャングル(町でもいいのですが)の中から、携帯で助けを求めていると思っていただけると、今回の対話のスタートに立つことになります。何故、こんな馬鹿な旅に出たのか問わないでください。今どうすれば良いのか教えて欲しい。A,B,Cの不如意はあったときにどうすればよいのか?ということでした。遭難の例で言いますと、猫さんの答えの一つは、ありたいと思っている状態に居ることを心に描き、なりきりなさい。(遭難は夢なのだから、日本へ帰っていることを心に描きなさい。―これは私の勝手な解釈)それに対して、こんな状態で、そんなことは心に描けませんと遭難者。潜在意識と顕在意識とを統合しなさいと救助者。ここで遭難者はどうしてよいか分からなくなる。更に質問を繰り返して果たして助かるのだろうかと。

大変雑駁なまとめなのですが、これまでのところはこんな感じです。いずれにしろ交信が出来るのが何と言ってもありがたいです。

 

(私にとって、躓きの一つは、猫さんがA,B,Cそれぞれにお答えになられたところにあります。猫さんのこれまでのお答えなら、まとめて論じられた方が、私には大変分かりやすかったと思います。

また、旅行や登山の面白さは簡単に帰ることが出来ないところにあります。ですから、遭難にあって立ち往生するのは当然で、そのままそこでくたばれ、というのも一つの答えなのかもしれませんし、また、夢なのだから、いずれ覚める、心配するなと言うのも答えの一つと思います。勿論、状況を更に聞く必要があれば聞いていただいて、具体的指示を戴くと遭難者にとっては一番ありがたいのですが・・・遭難者の最大の問題は、自分の現在位置が分からなくなっている事ですが、例えばとにかく尾根に出て、廻りの地形を見よといった具合の指示が欲しいのです。)

 

56  <更に質問を繰り返して果たして助かるのだろうか>との疑問をお持ちのようですが、いくら質問を繰り返しても、それだけでは助かりません。実はこれまでの対話でも、情報はいくつも差し上げてあります。お望みなら、何度でも繰り返して情報を送ることは厭いませんが、情報をいくら集めても、それだけではアリスさんが助かる見込みはありません。

 

 アリスさんの質問は、たとえて言えば、絵の下手な猫が「アリスさんのように絵が上手になるにはどうしたらいいか」と質問しているように見えます。アリスさんは、たとえば、「デッサンの練習をしなさい」というようなことをおっしゃるでしょう。猫は3枚ほど描いてみて、「ぜんぜん、うまく形がとれません。どうしたらいいでしょうか」という質問をします。アリスさんは、この哀れな猫に何と返事をなさいますか。

 

 私は、小学校に上がる前、たぶん4歳か5歳の頃だと思いますが、毎日毎日、朝から晩まで、馬の絵ばかり描き続けた時期があります。1日に3枚ぐらい描いたとして、1年描けば1000枚以上になります。そんな時期が1年半ぐらい続いたと思いますので、おそらく全部で1000枚〜1500枚くらいは描いたのではないでしょうか。終わりごろには、大人が見ても感心するくらい上手になっていました。ただし、いまの私は、馬の絵が馬らしく見えるためにはどこがポイントだったかということくらいを朧に覚えているだけで、とてもあの頃のような絵は描けません。

 

 幼い子どもでも、1000枚も同じ絵を描けば上手になります。いま、アリスさんに欠けているのは、不如意の解決に関する知識ではなくて、それに繰り返し挑戦する子どものような熱意と根気ではないでしょうか。

 そういう私も、そのような根気が続かずに、すこしずつしか進んでいかないのが実情なのですが。

 

57 アリス 有難うございました。猫さんが22で引かれた、キリストの「祈りはすでにかなえられたと信じなさい」という言葉が覚えやすいので、これに添って、挑戦してみます。

(不如意の問題は中休みといたしますが、猫さんの方で、これに関して、お話になろうとして、未だのことがあれば、お聞かせください。又、全く別の話題をしていただいても結構です。)

 

58  不如意の問題について、最後に一言だけ付け加えて、中休みに入りたいと思います。

 

 実はきょう、私のホームページに掲載している般若心経のページをすこし手直しをしました。般若心経の訳にも手を入れようかと考えていたのですが、読み直してみるとその必要がないように思えたので、そのままにして、注釈などを少し変えました。

 

 私は、「般若」という言葉を「超越意識」と訳していますが、実はこれが不如意を解決するための極意なのだと考えています。伝統仏教では、般若を「智慧」と訳しますが、訳語は何でもいいとしても、私は般若というのは智慧や知識のレベルではなく、意識そのものが変化した状態を指していると思っています。

 

 キリストの祈りの言葉にしても、それを完全にマスターしようと思ったら、いずれ超越意識の状態にならなければ、実行不可能なことなのです。

 

 現在、私たちの心は千々に乱れ分裂しています。心の一部が「望むことはかなえられた」と信じても、ほかの部分が「そんなのは嘘だ」と言っているのが、私たちの心の状態なのです。このような心の分裂をなくし、心の全体が一枚岩になって、「望むことはかなえられた」と信じたら、それは直ちに実現します。

 

 そして実は、この心が一枚岩になった状態が「般若」であり、「超越意識」なのです。

 

 私は、釈迦の教えもキリストの教えも、結局のところ、一つに収斂すると考えています。それは、四分五裂した私たちの心を癒し、統合された状態に復帰させることです。

 

 2500年前にこのことを発見した釈迦の教えによって生まれたのが仏教であり、その中から生まれた「分裂した心を癒す」ための方法が「座禅」であると私は考えています。

 

 アリスさんは以前禅寺で座禅を修行され、見性も認められました。私はアリスさんの進まれる道としては、座禅の道もあるのではないかと思っています。座禅によって心の統合を図りながら、キリストの教えをそばに置いて、それに沿って心の方向付けをされたら、進歩が早いのではないかと思います。

 

 ご参考までに、私の感じていることを申し上げました。それでは、しばらく中休みに入ることにしましょう。

 
05/6/21

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