アリス、アリスに会う   44-52


44  <「自分という意識」が魂に属すものなのか?エゴの残骸なのか?ここでは問わないことにします。> 括弧の中にはコメントしないのが礼儀かも知れませんが、これを言わないと、私が「自分という意識」と呼んでいるものが何なのかが分かりませんので、これから始めることにします。

 私は「自分という意識」というのは魂よりももっと根源的なものだと考えています。それは、それ自身としては何の属性も持たず、ただ「自分が存在する」「自分が何かをする」という「自分・・・」を感じるものです。

 自分自身に固有の属性を持っていませんので、逆に言えば、何にでもなることができます。何になっても「自分は自分」です。ここまで言えば、それが I am what I am. のIであることがお分かりになるのではないでしょうか。

 最も根源の「自分という意識」である神から、たくさんの分身である「自分という意識」が生み出されました。それが、私たちの「自分という意識」です。それは、『自分を探すアリス』の終わりのほうでお話しした雪の結晶のたとえの「核」に相当するものです。

 この核である「自分という意識」は自分の周りにたくさんの意識の結晶を作り出し、自分の属性を持ち始めます。そうしてできたものが私たちの魂です。

 その魂は、ある特殊な目的のために、意識の結晶の一部に「独立した自分」を感じるような部分意識を作り出しました。これがエゴです。

 多くの宗教や神話が、このエゴという部分意識が作り出されたことを、人間の堕落であるとか罪であるという表現をします。けれども、私はそうは考えません。エゴはある役目を持って意図的に作り出されたものです。

 私が、エゴを消滅させるというような話をするので、エゴは悪いものである、という印象をもたれるかも知れませんが、そうではなく、役目が終わったものは撤去する、という話です。それは、南極探検という目的が終われば昭和基地を撤収する、というのと同じです。

45 アリス:この核である「自分という意識」は自分の周りにたくさんの意識の結晶を作り出し、自分の属性を持ち始めます。そうしてできたものが私たちの魂です。

 その魂は、ある特殊な目的のために、意識の結晶の一部に「独立した自分」を感じるような部分意識を作り出しました。これがエゴです。>

という猫さんの前提は、ここではそのまま承認しますので、話をお進めください。何の目的で、どのようにエゴを作り出すかと言うことになりますね。

46  魂がエゴを作り出した目的は、「不完全を体験する」ためです。

 「自分という意識」はそれ自身は何の属性もなく、したがってそれ自体では何も体験することができません。そこで、「自分という意識」は、自分自身の周りに具体的な意識(あるいは想念)を作り出して、具体的な自分を作り出します。そうしてできたのが、私たちの魂です。

 話が拡散しますので、ここでは、魂については深く触れないことにしますが、この魂のレベルでは、私たちは完全であったし、いまも完全であると考えてください。完全であるとは、根源の存在である神の全知全能性を引き継いでいるということです。

 ところが全知であるためには、完全なものだけでなく、不完全なものをも知っていなければなりません。つまり完全は、すべての不完全を内に含んではじめて完全であることができるのです。

 このために、完全なる魂は、自分の内に、不完全を体現し体験する部分意識を持ちます。それがエゴです。つまり、エゴの存在目的は、不完全を作り出し、不完全を体験することです。

 では、魂は、どのようにしてエゴを作り出したのでしょうか、言い換えれば、エゴはどのようにしてエゴになったのでしょうか。

 エゴがエゴになるのは、サッカーの選手がサッカーの選手になるのと同じです。サッカーは、手を使ってはいけない、というゲームです。そこで、サッカーの選手は、せっかく持っている手を使わずに、足と頭でボールを扱うことを練習します。手の存在を忘れるまで練習して、無意識のうちに頭と足が出るようになって、はじめて、一人前のサッカーの選手になります。

 エゴも同じです。エゴは、魂の部分意識として独立した瞬間には、魂が持っていたあらゆる能力を持っていました。けれども、エゴはそれを使わないことにし、そのような能力があることを忘れる努力をし、「自分である」と感じる領域を狭い狭い部分に閉じ込めることによって、現在のような小さな「自分」というものを作り上げました。「自分でないもの」はすべて「外界」だと考えます。このようにして、大きな世界の中にいる小さな自分、大勢の他人とたった一人の自分、というものを体験するシステムがつくられたのです。

 私たちは、完全がよくて、不完全は悪いという考えを持っています。エゴは不完全です。そこで、多くの宗教がエゴは悪いものであると教えました。けれども、私はエゴが不完全であるから、悪いとは考えません。もともと、エゴの存在目的は、不完全を作り、自ら不完全になり、不完全を体験することだったのです。エゴは、初期の計画にそって、そのプロセスを進めてきただけです。

 けれども、魂の「エゴ・プロジェクト」は、エゴを作り出したところでは終わりません。なぜなら、不完全なものは完全に憧れ、完全を志向し、完全に向かって成長しようとします。「植物である」ということが、静物画のような静止状態ではなく、太陽に向かって伸びるというプロセスであるように、不完全であるということは、完全に向かって成長するプロセスなのです。エゴが再び完全になるとき、つまり、魂との再統合を果たすときまで、エゴ・プロジェクトは終わりません。釈迦やキリストがこの世に降りてきたのも、私がつたない言葉で霊性への帰還を呼びかけるのも、このようなエゴ・プロジェクトの一環なのです。

47 アリス:大変ユニークな説ですね、この時点で意見をはさむと混乱すると思いますので、問題を原点に戻して、このエゴの発生と「花が見える」との関係を説明してください。

48  アリスさんの質問の趣旨がよく分かりません。

 エゴであれ、魂であれ、見るという機能があれば何かを見ます。ただ、エゴと魂では、見るものが違うでしょうが。

 もう少し、ご質問の目的を説明していただけないでしょうか。

49 アリス:私の質問はそんなに複雑なものではありません。ちょっと復習しますと、不如意の解決策として猫さんが示されたのは、なりたいように心で思えばよいということでした。それなら、不如意も心が描いた結果ではないかと思ったのです。それに対して、そこで猫さんは心を図解して、心を魂とエゴに分けられました。私は「歯が痛い」といったことより、簡単と思える「花が見える」ということに置き換えてお聞きしたら、エゴがなくなれば「花が見える」ということもなくなるということでした。それなら(というのは、これまでの猫さんのお話になんら異論をはさんでいませんし、猫さんのお考えを前提で行けば、どうなるかということを理解しようとしているつもりなのですが)今度は、エゴの発生から、「花が見える」というプロセスを再現していただきたいと思ったわけです。猫さんのエゴが発生した謂れもそのやり方にも、いま、議論する気はありません。この過程が上手くいけば、つまり、エゴが発生した時点からスタートさせて、「花が見える」過程が再現できれは、逆に花を消すことも、ひいては歯の痛みも消せるのではないかと思ったからです。

50  私はまだアリスさんの問題意識がよく理解できませんが、とりあえず答えを差し上げて、それが不十分なら、そこからまた出発することにしましょう。

 エゴが花を見ているのは、エゴの心の中に花があるからです。その花は、エゴが自分で作りました。花と同じように、不如意もエゴ自ら作り出しています。

 けれども、エゴは、それらを自分が作り出したものだとは思っていません。それは、エゴが自分の心を二つに分けているからです。心の図解を描いたとき、私は、エゴが潜在意識と顕在意識に分かれている、と言いました。エゴは顕在意識の部分だけが自分だと思っています。潜在意識の部分は、その中に存在するさまざまな観念や想念の力学によって、自動的に(少なくとも顕在意識の側から見ればそう見えます)動いて、さまざまなものを発生させます。そこに発生したものが、物体の姿であれば、エゴの顕在意識はそれを外界の事物だと考えます。それが顕在意識の意向に沿わないものであれば、不如意だと感じます。

 これで答えになっているでしょうか。

51 アリス:このご説明は理解できます。エゴの中の潜在意識が「花を見みている」と「顕在意識」に思わせているのですね。そして<魂がエゴを作り出した目的は、「不完全を体験する」ため>ですから、その目的に添って、潜在意識は色んなものを発生させているということになります。そして、発生させているものは不完全なものだということになります。それではこの潜在意識を顕在意識はコントロールできるのでしょうか?即ち「花を見たい」と思えば可能なのでしょうか?

(この対話は最初から具体的な障害・不如意の解消ということに発しています。いわば、コンピューターで言えば、ヘルプデスクです。コンピューターのソフト・ハードについての理解は最小限止め、どのキーを押して、どうすれば、こうなる、ということを知って、先ず、不如意を解消しようとするものです。もし、それが可能であれば、ソフト・ハードの名称も機能も知らなくても良いくらいです。猫さんのご説明に殆ど口を挟まないのもこの理由です。もしパソコン自体がおかしくて、いくら操作しても思う結果が出ないということなら、無駄な努力をせず、諦めたほうが賢明と言うものです。これが私の当面の問題意識です。)

52  <それではこの潜在意識を顕在意識はコントロールできるのでしょうか?即ち「花を見たい」と思えば可能なのでしょうか?

 括弧の中のご説明のおかげで、アリスさんの問題意識は理解できました。けれども、私の説明が悪いのかも知れませんが、この話はいつも同じところをぐるぐると回り続けています。もう一度、回ってみることにしましょう。

 潜在意識は、潜在意識のままではコントロールできません。なぜなら、これはコントロールできないことにしよう、と言って、自分という領域の外に出してしまったのが潜在意識だからです。

 もし、潜在意識をコントロールしたいと思うなら、それを顕在意識の領域に取り込まなければなりません。それは、私たちが「自分」だと思っている意識の領域を潜在意識の領域へ拡大することです。別の言い方をすれば、顕在意識と潜在意識を統合するということです。

 ある霊的指導書は、こういう言い方をしています。「あなたたちは、顕在意識だ、潜在意識だと、意識がいくつもあるような言い方をするが、本当は、意識というのは一つしかないのだ」と。

 自分の意識のすべての部分が顕在化すれば、自分の知らない出来事が起こることはなくなりますから、文字通りの意味で「不如意」はなくなるはずですね。

 話が混乱しないように、できるだけ短い説明で進めていきます。これで、不如意への対応策がお分かりになったでしょうか。


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